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日本海海戦(7/11)

この記事は戦争について解説しています。
戦争礼賛、戦争賛美の意味で書いているものではありませんが、不快に思われる方、戦争に関する事に嫌悪感を持たれる方にはお勧めしません。
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-前回までのあらすじ-

インド洋に入ったロシア第二太平洋艦隊は、スエズ運河経由の支隊と合流し、さらに本国で新たに編成された第三太平洋艦隊とベトナムで合流し、50隻の大艦隊になりました。
いよいよ決戦の時が近づきます。

牙を研ぐ

旅順艦隊とウラジオストク艦隊を撃滅した日本艦隊は、交代でドック入りを行い整備に努め、日夜を惜しんで訓練を行いました。
バルチック艦隊何するものぞと士気も高く、バルチック艦隊の到来を待ち構えていました。

いよいよ戦機は熟しました。

日本とロシアの戦力は以下の通りです。

戦艦    日本4 ロシア8
装甲巡洋艦 日本8 ロシア3
巡洋艦   日本16 ロシア6
装甲海防艦 日本2 ロシア3
駆逐艦   日本21 ロシア9

戦艦の数ではロシアが圧倒していましたが、巡洋艦の数では日本が勝っており、遠距離戦ではロシアに分がありますが、近距離戦では互角の戦いができると思われました。

東郷司令長官は日本海から黄海、鎮海湾といった戦闘予想海域に哨戒線を引き、そこに仮設巡洋艦(商船などに砲を装備した船)を配置して、バルチック艦隊の発見に努めました。

発見

5月14日、石炭を満載したバルチック艦隊は錨を上げ出発しました。
ロジェストヴェンスキー中将はどのコースを取るかを完全に秘匿していました。艦隊は途中で石炭の補給を繰り返しつつ、北へ向かって進んでいきました。

5月26日、済州島付近を通過したバルチック艦隊に「合戦準備」の信号旗が掲げられました。いよいよ決戦の時が近づいてきました。無線には生の日本語が入ってくるようになりました。

明けて5月27日の午前2時45分、五島列島西方で哨戒についていた仮装巡洋艦「信濃丸」が灯火を発見しました。慎重に近づいて様子を伺いましたが、ロシアの船か判別がつきません。

信濃丸

周りに他の船も見えませんが、この海域を単独で航行しているのは不審であるとして臨検を行う事にしました。停船命令を出そうとしたその時、霧で霞む左舷方向に10数隻の船影を発見しました。

水平線にはおびただしい煙も見えます。
暗闇の中、バルチック艦隊の中に迷い込んでしまったのでした。
全速力でその場を脱出する事に成功し、4時45分「敵ノ第二艦隊見ユ」の暗号電文を発しました。

この時日本艦隊は、第一戦隊と第二戦隊が朝鮮半島南岸に、第三戦隊が対馬にいました。

各艦隊の位置

信濃丸からの電文を受けた東郷長官は大本営に「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ、連合艦隊ハ直チニ出動之ヲ撃滅セントス」という暗号電文の発信を命じました。

この暗号電文の後ろに主席参謀秋山真之あきやまさねゆき中佐が「本日天気晴朗なれども波高し」と平文で付け加えました。

秋山真之

この追加された部分は名文として知られていますが、短い言葉の中に非常に重要なな意味が込められています。

天気晴朗という事は、視界が良く遠くまで見渡せる事を示しています。つまり、砲の撃ち合いになるだろうと推測できます。

波高しという事は、水雷艇のような小型の船で戦うのは難しく、大型艦の砲撃戦になる事を示すとともに、艦が大きく揺れるため遠距離砲撃ではなく接近戦での砲撃でなければ命中が難しい、つまり練度の高い方が有利であるとともに、日本艦隊が数的優位を誇る巡洋艦の中口径の砲が活かせるという事を意味します。

恐らくこの天候で敵と遭遇した事により秋山は勝利を確信し、その意気込みを大本営に伝えたかったのでしょう。

6時34分、東郷司令長官は出港を命じました。

出羽中将率いる第三戦隊は、バルチック艦隊を発見するとつかず離れず哨戒を開始しました。
8,000mの距離を保って監視していましたが、11時40分突如としてバルチック艦隊は砲撃を開始しました。
たちまち大きな水柱に包まれた第三戦隊は、全速力で射程外へ逃げ出しました。

東郷司令長官率いる第一、第二、第四戦隊の主力艦隊は、戦闘予想海域の対馬北方へ向けて進んでいましたが、水雷艇や駆逐艦が波に翻弄されているのを見て、17隻の駆逐艦と11隻の水雷艇を対馬東岸の三浦湾に退避するよう命じました。

秋山真之の睨んだ通り「波高し」だったのです。

その8へつづく


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