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未来予知能力

「未来は分からない」
私はずっとこの言葉を疑ったことも疑おうと思ったこともなかった。だが、ここ最近この言葉を疑うような出来事が起こっている。そのいくつかを紹介してみる。大それたことでは決してない。ちょっとした日常の楽しみである。

まず、アルバイトでの出来事。4年間働いている先輩でも片手で数えるくらいしか受けたことのないような注文を私が受けてしまった。もちろん、初めてである。先輩に教えてもらいつつ緊張しながらも必要な手続きを終え、ふぅーっと一息付き再びレジに入ること2時間。もう1人同じ注文をしに来た人に出会った。年に1回あるかないかの注文を1日で2回も受けてしまったのだから、驚くのにも無理はないだろう。おかげで手続きは覚えることは出来たが、油断禁物と言ったところだろうか。

次に、若干の不運。中高大と電車で通学しているにも関わらず、未だかつて私は電車の遅延による遅刻や、人身事故によりどこかに行けない、といったことはなく、遅延証明書なるものをもらったことがないくらい電車運だけはあると思っていた。だが、ここ数ヶ月、よく緊急停車する電車に乗ることがある。しかも理由は「踏切内に自動車が立ち往生したため」。これがよくある出来事なのかどうか分からないが、少なくとも私は踏切に立ち往生するような状況は頻繁に起こるとは思えない。それにも関わらず、なぜか私の乗っている電車は最近上記の理由で緊急停車することが多いのだ。なんとも不思議だなと思いながら、これによって遅刻したことは今のところないから、電車運はまだギリギリのところであるのではないか・・・と楽観視している。

そして、最後に本にまつわる話である。私は本屋に行くのが好きである。特に天狼院書店は今のところ私の好きな本屋ベスト3に入るくらい好きな本屋なのである。その天狼院書店に訪れた際に、珍しく私のセンサーが一つの絵本に反応した。それはおーなり由子さんの『ことばのかたち』という絵本である。なぜこの絵本に興味を持ったのかは分からない。表紙の絵がきれいだったとか、題名に惹かれた、、とか色々な要素が重なって非常に魅力的に映ったのであろう。絵本を自分で買ったことはなかったからその時は買おうか買うまいか決断できず一回保留にしておこう、頭から離れなかったらまた買いに来れば良い、と思い作者と題名だけをメモして本屋を後にした。だがここからだ。私は読書は好きだが普段あまりエッセイは読まない。そんな私がなぜか無性にエッセイを読みたくなり以前から少し気になっていたさくらももこさんの『ももこの世界あっちこっちめぐり』という本を買った。読んでみたらわかると思うが、さくらももこさんの世界観はすごいし、本を読みながらこんなにクスクス笑ったことはないというくらい面白いからここで勧めておく。この本を読み進めていくと、なんと、さくらももこさんの親友がおーなり由子さんということが書かれていたのだ。失礼ながら私は今までおーなり由子さんという作家さんを知らなかった。それなのにこんな短期間に2回もお目にかかるなんて!もうこれは買うしかない!と思い、すぐに『ことばのかたち』を買いに行った。もちろんこの絵本を買って大正解だ。本当に素敵な絵本であり考えさせられる絵本である。もう少し語りたいところだが、それはまた別の媒体で。

私の言いたかったことはなんとなく分かっただろうか。本当に日常の些細なことだが、ある初めての体験が予知できるはずもない近い未来に形を変えたり変えなかったりしつつも、私の目の前に現れてくるのである。単純な思考回路な私は、これはちょっとした未来なら予知できるのではないか、と思ってワクワクしたのである。だが実際はほぼ不可能であり、今のところ当たったことはない。なぜなら、日常の些細な出来事すぎてスルーしてしまっている思いがけないことが伏線になっているからだ。だから、今となっては日常のスルーしてしまうほど些細な出来事が伏線となって後から現れてきてくれた時の感動と驚きといったらそっちの方がずっと面白いのではないか、なんて考えているのである。日常の中で「この前もこの言葉聞いた!」とか「これこの前知ったばかりのことだ!」という場面に出会うと人はそれだけで喜びを得られるのではないか。その場面で人に共有できるのならしたくなるだろうし、誰にも共有できない場所だとしても1人でその喜びを独占できるのであるから得した気分である。いずれにせよ、日々の些細な出来事に喜びを感じることができればそれは他の人よりずっとずっと人生を楽しむことができる気がする。

暗くなりがちな世の中で、人とも気軽に会えない日々が続いていて退屈に感じている人がいるのであれば、本当に退屈なの?と問いかけたい。私が想像できないほど苦しい辛い生活を強いられている人はたくさんいると思うから安易には言えないけれど、少しの光を感じることができればそれはその人を前に向かわせてくれる命綱なのかもしれない。

私の日常から壮大な話になってしまったけれど、少なくとも私は毎日「今日はどの経験が伏線になるかな」と思って過ごすだけで楽しい気持ちになれているのだ。

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