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半分アナログ人間

スマホのスクリーンタイムの週平均は4時間弱。
LINEやインスタも1日1時間程度。
LINEでのやり取りよりも手紙でのやり取りの方が好き。
マップは位置情報を切っている。
動画より読書。

私は半分アナログ人間だ。アナログの、人の温もりを感じられる形態が大好きなのだ。それ以外にも、少しくらい手間のかかる、時間のかかることも、別に時間に追われていないのなら、面倒と言われることを率先してやる傾向がある。

ついこの前も温もりを感じた。それは大学の卒業式の日。私は着付けがあったため先に家を出てしまっていたのだが、後から家を出た親から「電報が届いたよ」と連絡が入った。私は「え、電報?!誰から?!」という状態でかなりびっくりした。だって、電報なんて届いたのを紹介するのを聞いたことはあっても私宛に来るなんて初めてだもの。送り主は、小学校の時通っていた児童クラブの指導員。この指導員との再会は同じ学童に通っていた仲の良い友達のお通夜という悲しい場での再会だった。ずっと前に連絡先は交換していたけど、メアドが変わってからは連絡が取れなくなっていた。こんな場での再会は望んではいなかったけど、きっと再会させてくれたんだと思って、色々お話をした。その中で再会の前からずっと私の事を気にかけてくれていることを知った。大学も伝えていたことから、わざわざ大学名から卒業式の日を調べてその日に合わせて家に電報を送ってくれたのだ。こんなに手間もお金もかかることをしてくれて本当に本当に嬉しかった。あえて、メールやLINEといった手段ではなくて電報を選ぶあたり、最高だなと感じた。電報が届いただけで、節目の行事であることに加えて特別な日になった。

普段のやり取りも急ぎじゃないのは特に手紙がいいなと思うことがある。手紙は便箋を選んで手書きで書いて、切手を貼ってポストに投函。ザ・手間という手段だけど、文量を書けないからこそ、会った時に話すことがたくさんある。最近感じるのは、LINEなどで伝えたいことを即座に送ってしまうから、会った時に話すネタが減ってしまう、、ということ。

他にも、どこかに出かけた際。ここからここに行きたいとなった時に、あえて位置情報をつけずにマップだけ立ち上げて道があるところを歩いてみる。そうすると、位置情報をつけてスマホにナビしてもらったら、歩く道中、景色よりもスマホに気が散ってしまい見えなかった景色が、景色を見ながら目印を見つけながら歩くことで、新たな発見が出来たりする。そして、街並みを見るからその街がどう発展してきたかのヒントを得られたりする。点→点の道中が、点→線→点といった具合に、はっきりと感じることが出来るのだ。これがたまらなく楽しくて、ついつい散歩に出かけてしまう。

だからといって、スマホを手放すか、と言われたらそれは違うとも思う。文明の利器はありがたく利用しつつ、必要な時とそうでない時を見極めて使うことで半分アナログ、半分現代みたいな生活をしているような気がする。

コロナ禍もあってか、どんどん人と人が直接会うこと、お互いに干渉することを避けてる傾向があるような気がする。面倒くさいから関わらない。確かに、それも一理あるのも分かる。全く関係のない人同士ならいいと思う。だけどさ、これから密に関わっていくであろう人やしっかり話し合わないといけない場面、同じ仕事の人、などなど避けてはいけなさそうな関係で避けるのは違うような気がしているのだ。最近どうもここが私の価値観と違う人と会うことが多く、引っかかってしまいモヤモヤしている。

アナログ。古いことかもしれないけど、直接会わずとも気にかけていることが感覚的に分かる手紙や、周りを見ながら感じながら歩ける位置情報なしのマップを使った散歩。もっと、感覚を働かせた生き方をしてもいいのかな、と思う。私ももっと感覚をフルに活用して、研ぎ澄まさせて生活していきたいな〜と思う。そうすることでなにかいいことありそう。

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