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佐渡のハナシ vol.2

2度目の佐渡。5月のGWの時に行った話である。この時はこの時で新たな学びがあった。

2度目の佐渡は1泊2日の弾丸旅。行くたびに思うこと。それは行き帰りのフェリーからの景色が最高なこと、佐渡の自然が豊かなこと。毎回都心の喧騒から離れた開放的な気持ちになる。元来私は、都会向きの人間ではない。でも田舎向きでもないと思っていた。

今回は、岩首昇竜棚田のお手伝いがメイン。とはいえ、着いたその日はもう午後だったので、港から大滝楽舎まで寄り道しながら送ってもらった。大滝楽舎は簡単に言えば廃校となった小学校をそのままカフェや展示室として活用している場所である。ここの主の葛原さんという方がとっても素敵な方で魅力がたっぷりなのである。佐渡の三大仙人の一人と言われてるらしい。その所以は、なんでも自分で作ってしまうから。大滝楽舎の周りに生えている植物を集めて苔玉を作ったり、自分の作業小屋を1から作り上げてしまったり…。今回も行ったら苔玉が沢山置いてあったので可愛いですね、と言ったら「おぉ、作ってみるか?」と言われ、若干戸惑っている間にコケやらなんやら全て持ってきてくれてしまった。言われた通りに作ったらそれはもう「ドンッ」と「ドスッ」が組み合わさったような、他人目から見ても綺麗とはあまり言えない苔玉が出来上がった。でも、自分が作ると愛着が湧くものである。家まで丁寧に持って帰った。(残念ながらもう枯れてしまったが…)

葛原さんに言われてハッとしたこと。それは「都会の人はなんでも買うやろ?本当にそんなに物がいるんかねぇ。自然のものでも十分遊べるのにのぉ」と言われたことである。確かにそうである。私も佐渡に来て感じたことでもある。佐渡の方って皆ではないのかもしれないけど、基本的に自然のものを利用するし不要なものは買わない。自然と真剣に向き合って、自然のもの使ってなんでも作る。ちょうど大滝楽舎に来ていた子供たちは、竹弓の作り方を教えて貰って、弓を作っては誰が1番遠く飛ばせるかなんて言って遊んでいるのである。都会の子供がスマホやらswitchやらで友達同士対戦してるなんかよりよっぽど健全である。

大滝楽舎を後にしたあとは今回お世話になった岩首談義所に向かった。ここも廃校を利用した場所で、岩首地域を活性化させていきたい方や、美しい棚田を守り続けたいという熱い思いを持った方などが事務所として利用している。

この談義所では特別な体験をたくさんできた。
例えば、旧給食室で10人前のカレーを大きな鍋で作ったり、夜中の4時くらいまで日本酒飲みまくってその日初めて会った人達と深い話をしたり。校長室で寝たのも初めて。本当にすごいのは、談義所に人が集まってくること。GWのその日、たまたま来てたまたま談義所に泊まるって決めた人が10人以上いたこと。もちろん初対面の人ばっかり。学生時代に談義所でお世話になった人や、前に旅してたら談義所に良くしてもらったからってもう一度訪れた人、友達の友達で談義所に来た人、、ほんとに多様だったけど、それぞれの人生を聞けて、生き方って多様だなぁと思った。

私は高校の頃から大学に行くのは当たり前、大学に行ったら新卒で働くのが当たり前、「こう進むべき」と決められた軌道に乗せてもらいながら、そうあるべき人生しか知らなかった。それ以外は考えられなかった。だけど、談義所に集まった人達の話聞いてると、なんて自分はちっぽけな世界だけで生きていたんだろうって思った。

談義所の夜は長い。深い。

次の日朝から棚田の草刈りを手伝わせてもらった。初めて草刈り機を持たせてもらった。筋肉ゼロの私は、草刈りでさえも少しやっただけでも筋肉痛になりそうだった。棚田の管理に草刈りは欠かせない。草を刈るだけとはいえ、重労働。これを定期的に行ってる高齢の方は本当にすごいと思う。し、限界があるなと同時に思った。

若者が少しでも力になれば。なんて思ってたけど途中から私なんかがやっても足でまといな気がしてた。だけど、途中で若者がやってるから気になって声かけてくれた近くの田んぼのおじさんに励まされたり、草を刈ったあと田んぼが綺麗だったことに励まされたり。結局筋肉痛にはなったけど、なんのなんの。少しでも力になれるならいくらでもやったる!っていう気持ちに最後はなったなぁ。

今回は1泊2日だったけど、濃厚だった。もっと長くいて手伝えるものならずっと手伝いたかった。談義所にいる時間はいつだって特別。人生の幅が広がる不思議な場所。あの日あの場所で、お酒に酔いながらも話したことは、忘れられない。私の価値観が変わる瞬間だったもの。

私にとって特別な岩首談義所が存続危機にあること。それも聞いてはいた。だけど、それがかなり深刻なことは後から知った。談義所を続けていくには必然的に岩首地域の協力が必要になるとか、廃校を維持し続けていくのも大変なだとか。

私に出来ることはなにか。分からない。分からないけど、絶対に談義所はなくしてはいけない場所だとは強く思う。こんなに素敵な人達が、自然と集まりコミュニティが形成されることなんて滅多にないもの。そしてそこにいる全員が岩首を気にかけている。私も例外なく。

佐渡から戻ってきてしばらくが経った。今の私はきっと佐渡に居た時の私からあまり良くない意味でだいぶ都会の人間になったと思う。「こうあるべき」の中で疑問を抱きながら。

私はいつまでも少なくとも岩首の関係人口でありたい

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