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東京にお化けが住んでいた頃-2018.9月号Twinkle Twinkle Anecdote 3

ロサンゼルスから砂漠まで2時間ドライブしてペルセウス座流星群を見に行った。みーちゃんの流れ星を見たいという願いを叶えるためだ。

どうして流れ星かというとアンパンマンの影響である。世の2歳児の例に漏れずみーちゃんはアンパンマンに夢中だ。水筒や食器からパンツや便座までアンパンマン尽くし。アメリカの保育園でも日本語でアンパンマンの歌を熱唱し皆をポカーンとさせているらしい。僕も30年前にお世話になったのだが、クリームパンダだのロールパンナだのナガネギマンだのとキャラクターが無秩序に増殖している。そんな新キャラのひとつが、みーちゃんの絵本に登場する「ねがいぼしさん」「かなえぼしさん」である。流れ星の擬人化キャラで、「願いがあるときねがいぼし、叶えてあげるわかなえぼし」と言いながら飛ぶ。七夕の夜、子供達の願いを叶えるため町へやってくるが、ドキンちゃんにそそのかされたバイキンマンによって捕らえられる。危機一髪でアンパンマンが助けに来て、アンパンチでバイバイキーンというお決まりのストーリーである。

「ポチ(小野家の車の名前)に乗って、とおぉぉぉぉくに行くと、ねがいぼしさん、かなえぼしさんに会えるよ」
と僕が言うと、
「キャハハ、ヤッタァ!」
とミーちゃん。

そんな経緯でアンパンマン・マーチを無限ループしながら2時間運転し着いたのがジョシュア・ツリー国立公園。ジョシュア・ツリーとは制服を着崩した高校生を思わせる自由な格好の木で、それが奇岩の並ぶ砂漠にウニョウニョと生えている。他の子連れ二家族とAirBnBで一軒家を借り、みんなでハイキングをしたりバーベキューをしたりしながら夜を待った。

夜空は期待通りの素晴らしさだった。無数の星が咲き乱れる野を天の川が滔々と流れ、その流れを跨ぐ黄道を金星、木星、土星、火星が一列に行進していた。
「トゥインクル・トゥインクルいっぱいだねぇ!」
とみーちゃんも大喜びだった。

10時頃、ペルセウス座が昇り、流れ星が流れ出した。流れ星は空のどこに現れるかわからない。輝くのは1秒あるかないか。見つけるコツは、気長に待つことである。楽な姿勢で空を見上げ、できるだけ広い範囲を視野に収めて、瞬きせずに闇を見つめ続けることである。

ところが。それがミーちゃんにはできなかった。トゥインクル・トゥインクルを少し見るだけならば楽しいのだが、長く見ていると怖くなってしまうらしい。僕の胸に顔を埋めて泣き出してしまった。
「怖くないよ、見ていてごらん、ねがいぼしさん、かなえぼしさんに会えるよ」
と説得するも効果なし。あんなに楽しみにしていたのに
「ううん、会わなくていい」
とふてくされ、しまいには抱っこのまま寝てしまった。

ミーちゃんをそっとベッドに置きながら思った。僕も昔、夜が怖かったな、と…

小さい頃、小野家の家族旅行といえば東京から電車で数時間の伊豆や鴨川に1、2泊だったのだが、それでも夜空は東京とは別世界だった。満天の星。滔々と流れる天の川。しばらく見ていると、足がふわっと浮いて体が夜空へ吸い込まれていくような感覚に襲われた。怖くなって父の手を握った。そうだ、いつの間にか忘れていた。闇への恐怖と星々への魅惑がギリギリの線でせめぎ合うあの感覚。掌に感じる父の手の暖かさを頼りにじっと耐え夜空を見続ければ、星々の美は恐怖によって何倍にも増幅され、その刃物のように先鋭な美しさがより強い恐怖をもたらす。心の中で寄せ波と引き波がぶつかり波頭が高く跳ね上がる。その頃の僕よりミーちゃんはずっと小さい。花の蕾のように華奢な心が、この感情の白波に30秒と持ちこたえられなかったのも、考えてみれば当たり前だろう。

闇とは光の欠乏だと理科で教わる。闇とは実体ではなく状態だ。空っぽの状態だ。空き家のようなものだ。それを理解してしまった大人の心に、闇はもはや干渉しない。

だが子供の頃、闇は光と等しく実体だった。昼に太陽からの光子が空を飛び交うのと同じように、夜にはどこから来たか知れない妖が街をうろついていた。松郷の塚森だけではない。僕が住んでいた東京すらそうだった。小学校のトイレには花子さんがいて、近所には「幽霊屋敷」があり、通学路には「お化け階段」があった。上りと下りで段数が違うという噂だった。駅からの道の路面に三日月型のペンキの染みがあって、それは夜になると生きているように形と場所を変えた。塾からの帰り、夜にそこを一人で通ると、三日月の染みが追いかけてくる気がして全力ダッシュで駆け抜けた。友達と一緒の時は必死に怖くないフリをした。

あれから25年。幽霊屋敷はマンションに建て代わり、お化け階段はきれいに補修され、三日月のペンキの染みも道路が舗装し直されて消えた。そしていつの間にか、街からお化けは出て行った。夜は単なる夜になり、闇はもはや心に恐怖をもたらさなくなった。だから昔の方が、星は綺麗だったのかもしれない…

ペルセウス座流星群は遅い時間ほど多く流れる。子供たちが寝静まったあと、大人だけでバルコニーに出て流れ星を待った。暇つぶしに夜空を見ながらのしりとりが始まった。(妻が田淵もギニュー特戦隊も知らないのには驚いた。)そうこうしているうちに、あちらに、こちらに、ねがいぼしさん、かなえぼしさんが流れた。願いがあるときねがいぼし、叶えてあげるわかなえぼし。ミーちゃんはいつ、彼らに会えるだろうか。

小野雅裕
技術者・作家。NASAジェット推進研究所で火星ローバーの自律化などの研究開発を行う。作家としても活動。宇宙探査の過去・現在・未来を壮大なスケールで描いた『宇宙に命はあるのか』は5万部のベストセラーに。2014年には自身の留学体験を綴った『宇宙を目指して海を渡る』を出版。
ロサンゼルス在住。阪神ファン。ミーちゃんのパパ。好物はたくあんだったが、塩分を控えるために現在節制中。

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