見出し画像

初飛行目前!火星ヘリコプター・インジェニュイティがつなぐライト兄弟の夢

1903年12月17日。ある自転車屋の兄弟が歴史を作った。ウィルバー・ライトとオーヴィル・ライトによる、世界初の動力飛行である。彼らは高校すら卒業していなかった。国や企業からの援助は一切なく、開発資金は自転車屋で稼いで自弁した。それでも世界初を競っていた大学教授などに先んじて、空を飛ぶという人類の長年の夢を実現したのである。

この日に行われた人類初の動力飛行は滞空時間12秒、距離にしてたったの37メートルだった。

それから百年余り。飛行機はすっかり一般化し、何億人もの人が日常的に空を飛ぶ時代になった。飛行距離は大洋を一足飛びできるほどにまで延びた。

それでも、ライト兄弟の12秒のフライトは人類が存在し続けるかぎり永遠に記憶されるだろう。なぜなら、世界一はいづれ塗り替えられるが、世界初は未来永劫世界初だからだ。

画像1

もちろん、どんな世界初も記憶されるわけではない。そして世界初はありふれている。たとえば僕はおそらく世界初の火星ローバー運用に携わった阪神ファンだが、もちろんそんなことは誰も気に留めない。

そしてみーちゃんは火星ローバー運用に携わる阪神ファンの顔面に睡眠中誤ってかかと落としを喰らわせた初の人類である。僕は恨みを込めて一生忘れないだろうが、みーちゃんはすっきり忘れて大人になるのだろう。

歴史に残ることを許されるのは、人類の進歩のマイルストーンたる世界初のみだ。

たとえば1926年3月16日に行われた、ゴダードによる世界初の液体燃料ロケットの飛行。飛行高度2.5秒、飛行高度はたったの12メートル。子どものペットボトル・ロケットだってそのくらい簡単に飛べる。だがそれが現代の宇宙ロケットの始まりだったのだ。

1961年 4月12日のガガーリンによる世界初の宇宙飛行。あれから60年が経ち、500人を超える人が宇宙を飛び、まもなく宇宙への観光旅行も始まろうとしているが、人類がガガーリンの名を忘れることは未来永劫ないだろう。

1969年7月20日にアームストロングが月面に記した足跡。これから月に基地や街ができる時代になり、人類がいくつもの「偉大な飛躍」を重ねようとも、あの「小さな一歩」は永遠に人類初の一歩であり続ける。

ひとつ、小話がある。月面に降り立ったアポロ11号に、ライト兄弟の飛行機に使われた布と木の断片が積まれていたのだ。兄弟の大空への夢は月にまで到達したのである。

画像2

画像3

アポロ11号に積まれていたライト兄弟の飛行機の断片

まもなく人類はもう一つの「初」を歴史に残すことになるだろう。火星ヘリコプター「インジェニュイティ」による、史上初の地球外での動力飛行である。

インジェニュイティ、通称「ジーニー」は重さ1.8 kg、プロペラの端から端まで1.2メートルの小さなヘリコプターだ。2月18日に着陸した火星ローバー・パーサヴィアランス(通称パーシー)のお腹の下に、まるで小猿のようにくっついて火星まで旅した。

画像4

打ち上げ前のパーサヴィアランス。丸で囲った部分にインジェニュイティが折り畳まれて収納されている。(NASA/JPL)

着陸後、パーシーは1ヶ月ほどかけて一通りのチェックアップを終えたあと、少しずつ、慎重に、ジーニーを切り離す作業に取り掛かった。

3月21日、ジーニーのカバーが外された。ギターケースのようなこのカバーは、火星着陸時にロケットの噴射で巻き上がる小石やダストからジーニーを守っていた。

画像5

この状態でパーシーは数日かけて数十メートル走り、ジーニーを飛ばす「フライト・ゾーン」に到着。ちなみにカバーをフライト・ゾーンから離れた場所に捨てたのは、飛行中に視界に入ると困ることがあるためだそうだ。

画像6

その後、さらに数日かけて留め具をひとつずつ外し、3月30日にはジーニーはパーシーからぶら下がった状態に。

画像7

ここで小さなトラブルが見つかり、その解決のためにチームは奔走。毎日少しずつ、慎重に作業をするのは、まさにこういう時のためなのである。

4月3日、数日遅れでついにジーニーの切り離しに成功!

画像8

ジーニーが飛行中に間違ってパーシーに衝突したら大変なので、パーシーはここから100メートルほど離れた場所に退避する。4月7日、走り去ってしまう前にパーシーの腕の先のカメラでセルフィーを撮った。

画像9

母と娘の別れ。パーシーが寂しそうに見える。
「お前、ひとりでちゃんとやれるの?」
「大丈夫だよ、ママは心配症なんだから!」
その翌日は僕がパーシー運用のシフトに入る日だった。火星から届く画像を世界の誰より早く見られるのがこの仕事の楽しいところ。この日届いたこの画像に少し切なくなった。ジーニーはもうこんなに遠くなってしまったのだ。

画像10

その間、ジーニーは初飛行前の準備を進める。4月9日、低速でのプロペラ回転試験に成功。それをパーシーは遠くから望遠レンズで観察。

画像11

そして4月10日。この日は高速でプロペラを回転する試験が予定されていた。それに成功すれば、いよいよ翌日に初飛行をするはずだった。

ところが、ここで異常が発生する。ソフトウェアが予期せぬ挙動をし、プロペラが回転前に停止してしまった。ソフトウェアのみの問題なので機体には何もダメージがなかったのは朗報だ。壊れたら火星まで修理に行けないので、ソフトウェアはどんな小さな異常があっても念のため動作を止めるように作られているのである。

原因はすぐに判明した。「ウォッチドッグ・タイマー」と呼ばれる、コンピューターがフリーズしていないかをチェックするためのソフトウェアの機能に問題があったためだった。

4月16日。この日はライト兄弟の兄であるウィルバー・ライトの誕生日だった。チームはウォッチドッグ・タイマーをリセットし、高速のプロペラ回転試験に成功。

そしてこの原稿を書いているのが4月17日。日本時間では18日だから、みなさんにメルマガが届く前日である。本当ならばジーニーの初飛行を今月の記事にしたかったのだが、残念ながら間に合わなかった。

現在、チームは念のため、ジーニーのソフトウェア・アップデートを準備している。ウォッチドッグ・タイマーの問題を根本的に解決するためコードを修正し、地球でテストしたあと、更新ソフトが火星に送られた。もし必要となった場合、ジーニーはこの更新ソフトでアップグレードされる。現在のところ、初飛行はこのメルマガが届く19日の日本時間午後4時半頃だ。地球にデータが届き始めるのが午後7時半頃。そして午後10時15分から記者会見が予定されている。ぜひ楽しみにしていてほしい。

最初の飛行は対空時間30秒、飛行高度は3メートルの予定である。だがライト兄弟の12秒の初飛行のように、将来火星の空をヘリコプターや飛行機が日常的に飛ぶ時代になっても、この30秒のフライトは永遠に記憶されることになるだろう。なぜなら、火星初は未来永劫火星初だからだ。

最後にひとつ、小話を紹介しよう。ライト兄弟の飛行機の翼に使われていた布の小さな断片が、ジーニーの太陽電池の裏にも取り付けられているのである。

ライト兄弟の偉業から120年弱。空を飛びたいという人類の夢は、ついに火星にまで届こうとしている。もし天国というものがあるならば、ライト兄弟はジーニーの初飛行をどんな気持ちで見るのだろうか。

画像12

ライト兄弟の飛行機「ライト・フライヤー」の布の断片と取り付けるエンジニア

画像:NASA/JPL

---------
この記事は毎月19日無料で配信している【宇宙メルマガTHE VOYAGE】に寄稿されたものです。宇宙メルマガTHE VOYAGEを、ぜひご登録下さい‼️
https://www.mag2.com/m/0001683785
---------


ひとコマ・宇宙の話をしよう

画像13

まもなく星出さんが宇宙に向かい、野口さんが地球に帰還します。双方とも地球の往還に用いるのはスペースXの宇宙船「クルー・ドラゴン」。『宇宙の話をしよう』のコラムで、打ち上げと着陸のシーケンスを予習しましょう!


画像14

小野雅裕、技術者・作家。NASAジェット推進研究所で火星ローバーの自律化などの研究開発を行う。作家としても活動。宇宙探査の過去・現在・未来を壮大なスケールで描いた『宇宙に命はあるのか』は5万部のベストセラーに。2014年には自身の留学体験を綴った『宇宙を目指して海を渡る』を出版。

ロサンゼルス在住。阪神ファン。ミーちゃんのパパ。好物はたくあんだったが、塩分を控えるために現在節制中。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?