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結婚して移民になるという事

理由はどうあれ、出身地がどこであれ、移民には違いない。私は移民になった。しかも、日本が二重国籍を認めていないせいもあって、何十年住んでも外国人のままである。

日本国籍を諦めようかとも思わないでもないけれど、選挙権以外の事で、私の生活にそれほど大きな支障はない。だから今のところは現状を維持している。

結婚が理由でこちらに来たと言ったら、誰かが冗談で、あなたは恋愛難民だねなんて言ってたけれど、最近はほとんど冗談ではなくなっている。

人生の半分をこの国で過ごした。私には故郷が2つあると言ってもいいのかもしれない。それでも時々思う。私はなぜここにいるんだろう。そういう時、子どもたちがいる所が私の居場所だと考え直す。義母や義理の兄弟たちのことも。

日本人の彼との会話は故郷の香りがする。私がすっかり忘れていた習慣の違いとか、新しい言葉や表現とか、一見何でもないような事が新鮮で楽しい。

両親に会いに行く事の他には、日本に帰る理由などあまりない。そして近い将来両親がいなくなったら、帰るところがなくなる。漠然とそう思い始めていた矢先、彼に出会ってもう一つ帰る理由が出来た。

夫にそろそろ日本に帰る準備をするというと、「帰る」ってそぐわない表現だと笑う。
そうかもね、と誤魔化すけれど、私の中では「帰る」がまだ正しいのだ。

こちらに来て間もない頃義父に、君は少し変わっている。ホームシックにならないのか、と不思議がられた。義父は、自分のテリトリーから出ると全く落ち着かないらしく、列車で数時間離れている息子の家族に会いに来る事は滅多にしない人だったし、会いに来てもすぐに帰りたがった。私にしてみれば、その方が不思議だった。

越してきた当時は醤油など食材の調達に困った。そういう意味でなら、日本が恋しいかもと義父に説明した。義父は、君は頭の中のネジが何本か欠けているようだね、と感心したような口調で、かなり無礼とも取れるような事を言った。毒舌家なのだ。食べ物以外に祖国を恋しいと思わないのかと呆れたのかもしれない。

今は近くのスーパーで必要なものが揃う。アジア食がヨーロッパに浸透しているので、生活に困らない。

逆に不便に慣れてしまったので、日本に帰ると便利すぎて気後れする。あまりに選択肢がありすぎて、買い物に行く度に、どれを選べばいいか分からない。商品棚の前で途方に暮れる。

私はありとあらゆる面で移民になった。そういう気がする。このままだと難民になりかねない。私は選べないし、選べなくても誰も文句を言ったりしない。今のところはそれでいい。でもいつか選択を迫られたら、何を選ぶ?
何を、何処をそして誰をどう選べばいい?
つくづく贅沢な悩みだと思う。


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