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修善寺旅行① 韮山反射炉 アラフォー夫婦の旅

2024年3月中旬、旦那さんと2人で修善寺へ1泊2日の旅行に行ってきました。

1日目
韮山反射炉→宿(湯めぐりの宿 修善寺温泉 桂川)

2日目
ハリストス正教会→指月殿→おしゃぶり婆さん→日枝神社→修禅寺→道の駅くるら戸田→ランチ(まるさん)

今日は1日目の韮山反射炉についてです。

とても天気の良い穏やか日でした

感想は、
ここで造られていた物が大砲であることにはびっくりしましたが、現在は地域の人たちに支えられている温かい場所だと思いました。

明治の日本に欠かせなかった反射炉の建築

入場料は大人1人500円
冊子ももらいました

実は以前、韮山反射炉には子供たちが小さかった頃来たことがありました。

が、子供たちを追いかけ回していたので、あの頃の私はここで何が造られていたとか全く興味がなかったというか、持てなかったというか。

それで、今回初めてここで大砲が造られていたことを知りました。(小っ恥ずかしいですが本当に知りませんでした)

2015年に世界遺産となりました

館内で10分程度の映像を見た後は、ボランティアさんが案内してくれます。

近くに川が流れていて、水車の力を使って中をくり抜いていたそう。
大砲は2.8キロくらい飛んだ

ボランティアの方が、とても詳しく反射炉にまつわる話やその構造について話してくれました。

ペリーが日本に来て、鎖国中の日本政府は相当ヤバいと思ったそうです。
そして明治政府は大砲造ったり、大きな船を造ったり、石炭を掘ったりしたようです。

中国がイギリスに負けてしまったアヘン戦争も、日本政府を焦らせたみたいです。

それで全国に11基の反射炉を造ったそうですが、現存するのは3基で、韮山反射炉はそのうちのひとつです。

反射炉に使われた石は
伊豆半島で採れる凝灰岩という柔らかい石


反射炉の何がすごいって・自力でここまでやったこと

大変だったろうなぁと思ったのが、最初この反射炉は下田で造られていたそう。

けれど、ペリーが下田に来たことによって軍事機密がバレてしまう!となって、韮山に引っ越したとのこと。

反射炉とその生みの親、江川英龍像

けれど、もっと大変だったろうなぁと思ったのが、オランダ語で書かれた反射炉建築の技術書を書き写してたことです。

しかも、とにかく書き写してその後に蘭学者に訳してもらうという、気の遠くなる作業をやっていたようです。

そして、その訳書だけをもとに反射炉を造りあげた。

想像を絶するとはこのことですね!

大砲がモチーフになってる橋
ちょっと怖いな


伊豆半島と本州の境目は駿東郡小山町

ボランティアさんの話でおもしろかったのが、これです。

伊豆半島、意外と大きいんですね。
富士山の麓辺りまでが伊豆半島ということになります。

ただそれだけなのですが、何か得した気分になり、

「へー」

と思わず感心してしまいました。

反射炉の形をしたベンチ

まとめ

日本が欧米諸国の肩を並べるため、軍事に力を入れたことは、平和をひたすら祈る私としては「軍事かぁ」「大砲かぁ」と複雑な気持ちになりますが、

今在るのは、こういった歴史、努力や信念のおかげということで、勉強になりました。

手入れされたお庭と池

それに、ボランティアさんたちの思いが熱かったです。

決して暑苦しくなく、ちょうど良い感じに観光客である私たちと接してくれました。

茶畑の丘から見える2つの世界遺産

帰りがけに、旦那さんと施設内に戻り、床に貼られた近辺の地図を眺めていました。

すると、先ほどのボランティアさんと受付の方が気さくに話しかけて来てくれました。

そしていただいたのがこの冊子↓

少し時代はズレるけれど、原田マハさんのこちらの本を読んでいたので、↓
(松方コレクションについて書かれています)

造船のことなどを興味深く読むことができました。

ボランティアさん、ありがとうございます。

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