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人生探求型の私がスタートアップで経営をやる意味

とてもご無沙汰な投稿になっています。ぺぺです。DFA Roboticsという日本で一番配膳ロボットを導入している会社に入社してから早1年半が経とうとしています。これまでの1年半とにかく目の前の事業をどうしたら大きくできるか、どうしたら新しい芽を育てられるかにフォーカスして生活をしてきました。そんな生活を送る中で、あれなんで自分はここにいるんだっけと、足元が揺らぐ感覚がしたので、改めて原点に立ち戻って言語化をしてみたいと思います。

世界放浪の旅に出た

私が世界放浪の旅にでたのは2021年8月。2022年の4月に日本に戻ってきたので、約8か月間世界をあてもなくさまよっていたことになります。当時楽天を半ば勢いで飛び出した私は、友人と起業するぞと意気込んでいました。でもその勢いもつかの間、なぜかどの事業もやりたいと思えず、何なら働きたいとも思えず、とりあえず海外旅行でも行ってこようかという軽い気持ちでスペイン バルセロナへのチケットを取りました。

実は当時は世界放浪の旅に出るなんて思っておらず、とりあえず年末くらいまで好きなことをしようと思っていたのですが、一度旅に出ると旅が楽しすぎて8か月帰ってこれなかったというのがことのいきさつです。

旅の思い出を話すときりがありませんが、

  • スペインでTinderで出会った子とデートをして、スペイン人の恋愛観と日本人の恋愛観の違いは関係性を深めるフェーズの違いに大きく起因していると気が付いた話

  • トルコでぼったくりにあって、人は少しずつ悪化していく現状を認知するのが難しいと思った話

  • フランスのピザ屋でカップルが巨大なマルゲリータを1枚ずつ注文していることから個人主義を垣間見た話

  • 古代ギリシアの性事情をラジオで聴いていたら、人間のセクシャリティはかなりの部分生物的でなく、社会的観念によってつくられていることを知った話

  • コロンビアのクラブでひたすら楽しく踊っていたら、お店のクローズのときにみんなにお前すげーなってハイタッチされた話

  • 唯識論という仏教思想にハマって、世界のとらえ方がぐにゃっと曲がった話

などそれぞれ1テーマごとにnoteにできそうなくらい色んな体験と思考をめぐらすそんなとても幸せな時間でした。

そんな私がなぜ東京のスタートアップに戻って働くことになったのか?

というわけでめちゃめちゃ楽しく旅をしてきたのですが、なぜ旅が楽しかったかというと、色んなものを見て、新しい体験をして、それに対して自分の思考をアップデートしていく、それが私の人生そのものだと思えたからです。

そんな私がスタートアップに戻って働くことになったのは、シンプルにいうと「まだ資本主義に未練がある」と思ったからでした。
ここで資本主義の定義をしていると話が終わらなくなりそうなので、軽く当時の心境にだけ触れておくと、当時私は歴史をつかさどるソーシャルスタートアップに入社するか、今働いているスタートアップに入社するかでとても大きく揺れていました。

歴史のスタートアップはまさに自分が取り組みたい、ポスト資本主義的な取り組みをしていて、歴史を通して世の中の認知を変えようとしている会社。一方でロボットのスタートアップは、日本が直面する労働人口減少の課題をハードウェアで泥臭く解決しようとしている会社でした。

直感や、興味だけでいったら正直歴史のスタートアップでしたが、最後決断するにあたって、自分の内側から湧いてきた一言は「まだ資本主義に未練がある」でした。

資本主義的な経済の中で、課題を解決し、売上をあげて、それによって利益を還元する。そういった社会の多くの会社がやっている営みを全力でやってみて、それを成功させること。そこに30代前半は向き合ってみる必要があると感じたのです。

もう一度資本主義をやってみての感想

詳細には語りませんが、資本主義社会の中での営利活動は色んな矛盾をはらんでいたりします。(その矛盾が悪いとは全く思っていません。)顧客や、株主、従業員などのステークホルダーの利益を確保しようとすると、すべてが良しとなることはなかなか難しく、絶妙なバランスでなりたっていることを知りました。

また資本主義社会である以上、持続的な成長が求められていて、高い事業目標を市場と約束していくことで期待値が得られる一方で、それがうまくいかないときの影響も大きいというそういったゲームの中にいるとも感じました。これも別に良い悪いの話ではなく、ただそうであるという認識です。経済活動を通して社会と結びついている以上、事業の成功がその他の様々なファクターの上に成り立ち、また事業の成功が様々なステークホルダーに影響を及ぼすことを身をもって体現した1年半でもありました。ちょっと抽象的すぎる気もしますが、具体的な話はまた追々。

なぜ、いま、この挑戦を続けるのか

本題です。私は旅の間コーチングを受けていて、その中でわかったことが一つあります。世の中には何かの目標を達成したり、結果を出すことで喜びを見出す「達成型」の人間と、何かを知ったり体験したりするプロセス自体に喜びを見出す「探求型」の人間がいるとすると、私は間違いなく「探求型」の人間であるということ。

幼少期からなんでなんでとずっと親に質問をし続けて困らせていた私。新卒でやりたいことが見つからずなんでも経験できそうな会社を選んだ私。旅をする中で自分の思考が自由になり、変化していくことを楽しんでいる私。どの私も結局は「世界と自分を知ること」をしたくてやっていたんだなときがついたのでした。

この1年半は事業を成功させるために、色んなものを達成基準で考え続けて、その中でたくさんもがいてきましたが、改めて考えると私はその達成をしたいからではなく、その達成の過程やその先にあるものを体験したいからここにいることを忘れていたように思います。具体と抽象を行き来せよとはよく言いますが、圧倒的具体をやり続けたこの期間。もうすこし抽象的な問いに立ち戻って仕事をする必要がありそうです。

そう考えると変化の激しいスタートアップは探求のしがいがたくさん詰まっている場所です。ロボットメーカーと代理店と顧客の関係はどのようなパワーバランスで変化するかとか、情報の共有がスムーズにいかないと人はどういう感情になるのか、ロボットが業務を代替することで人間にどのような変化が訪れるかなど探求できる問いはたくさんあります。この2024年にロボットを日本で普及することにどういう意味があるのか改めて考えながら日々を送ろうと思います。

今後に向けて

文章を書いているうちにもともと書きたかったことから少しそれているような気になってきたのですが、最後に一つだけ。もし私がいつか自分で事業を起こすとすれば、それは「探求しがいのある飽きない領域」での挑戦になるのではないか?と思っています。
目先の課題解決や、事業を大きくすること自体は面白いけれど、いつか飽きちゃうよなっていう感覚です。課題が大きい小さいではなくて、その課題を解決すること自体が自己と世界の探求そのものであり、探求していたら気づいたら事業をしていたそんな感覚のものと出会えたら、それはとても幸せなことなのではないかと。(そもそもそんな探求と事業を起こすということ自体が矛盾を起こさずに両立するのかはとても疑問ではあるのですが。。。)
はたまたそれは、これを探求するには、事業にしていくのが一番効率よいのでは?と思うような領域かもしれません。

と、まあよくわからない結びになってしまったのですが、最後のパートが今一番忘れたくない言いたかったことなのかもしれません。この感覚誰かと共有できたら嬉しいです。