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紅葉と思い出

紅葉を見ようということになり、「いい寺があるらしい」と言い出したのは年上の仲間で、幾人かで連れ立って出かけた。初めて降りる駅前の、ロータリーから出るバスに30分も揺られれば、そこには確かに素晴らしい赤が広がっていた。

皆大喜びでカメラを構え、群生したもみじを撮った。光の良い時間というのは短い、のだという。全体が深い森なので、そのあいまのもみじに美しく光が当たる場所を探し移動していく。

私はそれにすぐ飽きて、ひとりうろうろとしているうち、寺の裏に出た。

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「奥に水車小屋がある」言い出しっぺの彼が追ってきて言った。

そこもまた実に絵になる場所だった。小屋の中に入ったり、水車の前で代わる代わるカメラを切る仲間たちを見ながら、しかし私は何枚か撮ったところでふと気にかかった。

「ここはよく知っているの?」
尋ねると、件の彼はなんでもなく答えた。
「昔、結婚してた頃、この近くに住んでいたんだ」

さてどうして彼は、最初まるでちょっと聞きかじったんだけどとでもいうようにこの場所のことを言い出したのだろうか?

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美しい、のどかな、色彩あふれた……
そういうものに、私はどうもうまく思い入れができない。

茶色いもの、枯れたもの、射し込む光から少し外れた陰が好きだ。絵巻物のようなもみじや、まるで心の故郷のような水車小屋やお寺の風景に背を向けて、私は薄暗い道の奥やぶるぶる震えて立つ苔草を見てしまう。

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帰りはバスがなくなっていてどうしようと大騒ぎをしながら、皆楽しそうだったし、それを見て彼も嬉しそうだった。
きっと彼は、皆にただ美しがってほしかったのかもしれない。なんの影もなく。あるいは単に恥ずかしかったのかもしれない。それだけのことなのかもしれない。でも私は少しだけ罪悪感のようなものを感じてしまって、その事実がただ気まずく、こういうものが少しずつ降り積もって、時々寂しくなったりもする。

差し当たって、これがこの秋の記憶である。

(798字)

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