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ある日帰宅してみると門のすぐ内に小包が置かれていた。 田舎のことであるから、よく見知った宅配業者が気軽に荷物を置いていくことは特段珍しくはない。ただそれが古い油紙のようなものに包まれ、茶封筒を巻き込むように紐で縛られているだけで、発送ラベルがないのが気にはなった。紐が真ん中を横切っているからうまく貼れなかったか、油紙のせいで接着が弱く、この時期の風に煽られて飛んで行ってしまったのだろうか。しかしそんな一瞬の疑念は、封筒に弱々しく鉛筆書きされた名前を見てすぐに霧散した。 あま
休日、早起きしてパンを焼いてみた。とは言ってもオーブンなんてしゃれたものはない。ホームベーカリーである。 まずは材料を測る。とは言っても電子計りなんてちゃんとしたものはない。昔ながらの、おさらの下で針がくるくると回る秤である。 一袋199円の強力粉と、スキムミルクはないので牛乳で代用。そのぶん水の量を調整する。無塩バターはないので気にせずマーガリン。なので塩は省略して、砂糖を少し。最後に消費期限ぎりぎりのドライイーストを入れて、「プログラム1」でピッ。15分後に一度ブザーが
「連続10日投稿」のバッジがついた。 ようやくの10日。はやくも私は結構息切れしてきている。 そもそもが、「ちゃんと文章を書こう」と思って始めたnoteだった。「ちゃんと」とは、「美しくしようと頑張って」という意味だ。もちろん、文章は、美しく書かれるべきだ。そう思っている。 物書きになりたいという人と、長いこと一緒に暮らしていた。 その人が夢を諦めてふつうの勤めに出て、そこで出会った人と沼に落ちて、私を部屋から追い出したとき、私は昔その人が書いた言葉を思い出しては、め
紅葉を見ようということになり、「いい寺があるらしい」と言い出したのは年上の仲間で、幾人かで連れ立って出かけた。初めて降りる駅前の、ロータリーから出るバスに30分も揺られれば、そこには確かに素晴らしい赤が広がっていた。 皆大喜びでカメラを構え、群生したもみじを撮った。光の良い時間というのは短い、のだという。全体が深い森なので、そのあいまのもみじに美しく光が当たる場所を探し移動していく。 私はそれにすぐ飽きて、ひとりうろうろとしているうち、寺の裏に出た。 「奥に水車小屋があ
子供のころ近所の公園に生えていた木々を、私はひと種類ひと種類見分けられていたように思う。ただそれをどんなふうな名前で読んでいたのかを覚えていない。 母は植物に詳しい人だったので、名前はきっと母に教えてもらったはずなのだが、いまとなってはそれが、図鑑に載っているただしい名前だったのかどうかは分からない。 かすかな記憶によれば、私はそれらを、生え方や葉の形というよりは木肌の感じで覚えていたのだったように思うのだが、いったいそんなことは可能なのだろうか。あるいは単に、空想の友達に
別れた恋人にもらったカメラが手元にある。 私たちは正直あまり会話が弾まないカップルだった。なりゆきで付き合ったというか、単にお互いにとって恋愛ごとのリハビリじみた試行でしかなかったと言ってもいい。そこでおそらく何か共通の趣味のひとつでもあれば変わるのではと考えて取り出されてきたのがそれだったのではないかと思う。 その人の家の近くの公園をぶらぶらしていたときに「使ってみませんか」とカメラを渡されたのが秋だった。 だから最初はもみじの写真から始まった。 色のある写真も撮った