ブリグリが生き甲斐だった

私がthe brilliant green(通称ブリグリ)に出会ったのは、活動休止から帰ってきた時だった。

今でこそ音楽が好きだと言える私だが、当時は全くと言っていいほど音楽を聴かなかった。音楽の授業により、音楽=クラシックという図式が成り立ってしまい、楽譜を読めない私は『音楽』という言葉にアレルギーを示してしまうくらいだった。
そんな私がここまで音楽好きになった理由。それは、ブリグリとの出会いだった。
たまたま見ていたドラマのEDの担当がブリグリだったのだが、その曲を聴いたときの衝撃はいまだに忘れられない。

「ここまで英語を使った邦楽があるなんて!!」

当時、テレビから流れてくる邦楽は、私にとっては退屈だった。テンポも遅いし、何も新鮮味がない(当時の勝手な偏見です)。もっと自由な音楽の世界はないのかと。
そんな私にとっては、英語を使って歌詞を書いている、それを歌っているだけで新鮮だった。そして、思った。もっと自由に、自分が思う音楽を求めようと。
それからはブリグリを基盤に、ジャンルを問わず、とにかく音楽を聴いてみるようになった。探せばいくらでも自分に合う音楽がそこにはあった。何も音楽の授業に捕らわれる必要はなかった。

ブリグリは、とにかく歌詞が素晴らしかった。
比喩表現が凄すぎる。この世界観はブリグリでなければ成立し得ない。Tommy february6とTommy heavenly6は光と闇でくっきりと世界観を確立しているのに対して、ブリグリはそのようなはっきりとした世界観ではない。日常により沿い、日常の感情をありのままに独特の世界観で築き上げる。それがブリグリだ。破壊のような、衝動のような歌詞だって、比喩であれば柔らかくなる。実際には柔らかく表現されたように思えるだけで、ストレートに表現するのよりも遥かに恐ろしいのだが。日本語で書けないのなら、英語で書けばいいのである。苔まみれになっちゃえ、ってね。

どんな悲しみも怒りも幸せも、隠さない。比喩にして、絵本の物語のように魔法で飾り付けて、感情により一層の深みを与える。だからこそ、私の言いようのない感情はブリグリを聴くことによって昇華されたのかもしれない。ブリグリを聴く時だけは、私は幸せだった。星降る『ブリグリ』という物語の中に存在することが出来たのだ。ブリグリのお陰で、私は死なずに済んだのかもしれない。

久しぶりにブリグリを聴いて、そんな昔の思い出に浸っていた。いや、これは思い出等ではない。写真のように今でもはっきりと思い出せるのだから。これはたった今、この曲を聴いている時の出来事なのだ。そして、この感情は、まさに今の感情なのである。

ブリグリの曲を聴けること自体が、私にとっての小さな幸せなのかもしれない。
今日は『長いため息のように』を聴いて寝よう。

いただいたサポートは、ペンギンの本や水族館に行く旅費の足しにします。