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ザンビア最大の難民キャンプへ、その1。

先日、ザンビア内で最大の難民キャンプ、メヘバ難民居住区(以下メヘバ)と呼ばれる場所を訪問しました。

ここで活動されていた先輩隊員の方が、もうすぐ任期満了に伴う活動引上げが迫っていて、身近にアテンドしてくださる方がいなくなってしまうのがわかっていたので、このタイミングで駆け込み訪問させていただきました。


日本は難民の受け入れをほぼ行っていない国であることから、私たち日本人は難民の知識はほぼないかもしれないし、あまり言われてもぱっとしない話かもしれません。

だからこそ、見て感じたことを忘れないうちに記録にして、あわよくば誰かに伝わったらな、と思って。私の備忘録の意味も込めて記録しておこうと思います。



そもそも難民とは、「難民の地位に関する条約」では、「人種、宗教、国籍、政治的意見やまたは特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるかあるいは迫害を受けるおそれがあるために他国に逃れた人々」と定義されているようです。

メヘバは1971年にUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)によって難民の受け入れの場所となって、その後1982年にザンビア政府の管轄になってからも、近隣国の多くの難民を受け入れている場所です。

メヘバで現在受け入れている難民は、コンゴ民、ブルンジ、ソマリアなどからの国です。私がメヘバ内のTransit Center(定住地が決まるまで、まず難民が暮らすことになる場所)を訪問した際は、コンゴ民からの方々が大半を占めていて、ブルンジからの方々には数名会ったぐらいでした。

この居住区には元難民と呼ばれる方々もいて、アンゴラ、ルワンダの方々も同様にたくさん暮らしています。

元難民って最初は何だろう、と思ってしまいましたが、現在は難民認定をされなくなった国の方々だそうです。元難民になってしまうと、難民の時のような支援を全く受けられなくなってしまうとのことでした。

メヘバには現在約22,000人(そのうち元難民は約9,000人)が暮らしています。そして、メヘバの中の支援団体が多く入っているエリアには、その他の国の方々も暮らしています。

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↑ 見にくいですが、メヘバの地図。上の方がA、下の方がHの居住区です。


メヘバの面積は、シンガポールの面積と同じぐらいと先輩隊員から教えてもらいました(シンガポールの面積は埋め立て地拡大のため、年々大きくなっているそうで、今後はシンガポールよりも少し小さいぐらいの大きさ、と表現されていくのかもしれません…!)。

ただ、居住区として整えられていない森というかBushというか…そんな場所もたくさんあるような印象を受けました。

先輩隊員が暮らしているのは、メヘバの入口から車で20分程進んだ、Aという居住区域。メヘバの方々は道の名前で場所を呼んでいるみたいでした。

さらにAから車で1時間以上進んだ場所にある、Dという居住区域。ここは支援団体が多く集まっている場所で、今回はAからDにかけて、先輩隊員にアテンドをしていただきました。

一番奥のHという居住区域の地図を見せてもらうとほぼBushで、先輩隊員もほぼ足を踏み入れたことのない場所と言っていました。

特に雨季になると、整っていない道を車やバイクタクシーで進まなければなりません。よく車が通る道でさえ、道が悪くて途中から歩いて行った場所も今回あったぐらいです。

そんなさらに奥にある場所で暮らしている方々は、どんな生活をしているのだろうと、気になりました。物理的に遠くなる程、支援が入りにくいという事実。奥の方にある学校が潰れている、という話も聞いたぐらいなので、メヘバの中でもさらに過酷な生活をしているんだろうな、と想像してしまいました。


まずはAの居住区域のお話。

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↑ Aの居住区にある小さなマーケット。


今回アテンドしてくださった先輩隊員は、この場所で生活・活動をしていました。配属先は全寮制のSecondary schoolで、ICTの授業を行う、という活動。つまり、私と同じPC隊の先輩で、これまでもお世話になってきた素敵な先輩です。

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↑ Secondary schoolのゲート。ザンビアでよく見る、AIDS対策のマークも。


メヘバの生活で一番大変なことは、非電化エリアであること。電気が来るのは、学校でジェネレータ(発電機)をまわしている時のみ。平日のみ朝の5時頃から2時間程、そして毎日夕方17時半~22時半、水もその時間に合わせて30分程来る、といった環境。基本的には井戸水だそうです。そんな中で生活をしています。

このジェネレータは、生徒が夜に学校の教室で自習するためにまわしているそうです。そして、先輩隊員がPCを使った授業を行っていたのも大体この時間。全寮制の学校のため、夜に生徒を集めることができるとのこと。日中はPCを使わない、理論中心の授業を行い、夜に実技の授業を行う、といった活動をしていたそうです。

以前はこのジェネレータすら壊れてしまい、全く電気が来ない状況もあったそう。想像するだけでとても辛いです。最近はジェネレータをまわすための燃料であるガソリンの値段が上がっているので、きっと学校側もこの環境を維持するのは大変なのでは、と思っています。


コンピュータラボを見せていただきましたが、元々理科室?だった場所を改造して作ったとのことでした。寄付でPCをもらうまでは、黒板に図を書いたり、理論の授業を工夫されていたことを聞きました。

ただ、この寄付でもらったPC、デスクトップPCは昼間は電気がなくて使えない、ノートPCは寄付ということでバッテリーの持ちがあまり良くない、という話を聞き、やはり非電化エリアでPCの授業を行う難しさを感じました。

それでもICT教育が必須になっているザンビア。ICTの先生がこのSecondary schoolにいなかった中、ここまで1人で環境を作りあげてきたのは本当にすごいです。いろいろな課題と1つずつ向き合いながら、ICTの授業ができるようにこれまでたくさんの工夫をしてきたんだな、と思うと、改めて先輩隊員の行動力と大きな努力、尊敬しかありません。

しかし、ザンビア内でこの先輩隊員に引継いでICTの授業をする先生を探したけれども、見つからなかったそう。ザンビア人でさえも、この生活環境で生活するのは…といった反応を示すそうです。

そして、後任要請を現在募集しているみたいですが、次のボランティアがもし来ても、早くてもまだまだ先の話になりそうです。

ザンビアではICTという科目は、まだなかなか普及もしていなければ、ハードルが高い科目なのかもしれません。ザンビアは他国に比べるとPC隊はそれなりにいる方だと思っていて、ICT教育が進んできているのかな、と思いつつも、現状は追いついていないのかな、とも思ってしまいました。

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↑ コンピュータラボ。ノートPCは別の部屋に保管してありました。


そしてこのSecondary schoolは、難民キャンプ内にあるにもかかわらず、難民は1割程しかいない、という話を聞いてさらに衝撃を受け、この現状に疑問が浮かびました。

多くの学生は、メヘバのある北西部州から集まるザンビア人の生徒。そして、北西部州の中でも学力レベルの高い学校になっているそうです。確かに、この周りに何もなくて、限られた資源で生活しなければならない環境、効率良く勉強をするしかないので、成績優秀な学生を輩出するのも少しわかるような気がします。

全寮制の学校ということで、高い学費が必要なため、難民は学費を払うことができなくて入学できない、という現実があるそうです。成績優秀な一部の学生は支援を受けてこの学校に通えますが、それ以外の学生はPrimary schoolを卒業すると、学びたくても学校に行くことができないそうです。

さらに、難民はSecondary school卒業(日本で言う高校卒業)までは支援してもらえますが、その先の大学入学は支援団体の制度を使って、本当に一握りの生徒しか掴めない道で、どれだけ優秀な生徒でも難しいということも知りました。

その道のチャンスを掴んで、大学を卒業してメヘバで働く方々(アンゴラ人、コンゴ人)にお話を聞かせていただく機会がありましたが、今に至るまでの苦労がすごくて。

私が聞いたことに対して、あまり隠すことなく今までの自分の経験や、難民について知っていることを共有して下さったこと、とてもありがたかったです。このような方々とお話できたのも貴重でした。

そして、卒業が迫っているものの、大学に行きたくてもこの先の進路がまだ決まらずにいる生徒にも会いました。きっと他にもこんな難民の生徒がたくさんいるんだろうな、と思ってしまいました。


このSecondary schoolの状況の一方で、すぐお隣にあるPrimary schoolはほぼ難民が通っている学校、という状況です。このPrimary schoolも少し前まで先輩隊員の方が活動されていました。日本語を少し知っている生徒や先生に会い、ここに隊員がいたんだな、と感じることができました。

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↑ Primary schoolの看板。


平日に少しだけ学校を見学させていただきましたが、ここの生徒が全員、こんなにすぐ隣にあるSecondary schoolに上がれるわけではない、という事実もまた衝撃で、複雑な気持ちになりました。Primaryの生徒にとって、隣のSecondaryの生徒は以前からの知り合いがほとんどいないなんて、不思議なコミュニティだなあ、と思ってしまいました。

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↑ Primaryは通いの学校のため、Secondaryよりも敷地は小さな印象です。


長くなってきたので、その1として、一旦ここまでにします。

他にもアテンドしていただいた居住区域があるので、次回のその2に書いていきたいと思います。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

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