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ザンビア最大の難民キャンプへ、その2。

前回の「ザンビア最大の難民キャンプへ、その1。」に続きまして、その2を更新したいと思います。

今回はA以外の居住区域で訪問させていただいた場所のことと、そこで感じたことについて書いていきます。


先輩隊員さんのお家があるAから車で支援団体が集まるDの方面へ。ほぼ1日がかりで様々な場所を訪問させていただきました。

まずはBにあるJAGAIMO CLINIC。先輩隊員さんがアテンドした時に開いているところは久々に見た、とのことでした。

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↑ それなりに人が集まってくるクリニックのようでした。

ザンビアはキリスト教の国ですが、ここメヘバではイスラム教の人もいるため、小さな家をPrayer roomにしたような建物も車の中から見ることができました。


お次はCにある孤児院。ハウスマザーの方が施設について、いろいろと教えて下さいました。

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↑ 偶然小さな子どもたちが嫌々水浴びをしているところでした。笑

クリニックも孤児院も、日本からの支援が入った場所です。

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↑ From Japanではなく、From the People of Japanで統一されていました。


Aから離れると、英語や現地語のベンバ語よりも、コンゴの公用語であるフランス語やスワヒリ語が多く飛び交っていて、ここはザンビアではないのでは、と思ってしまうほどでした。

英語で Hello! や How are you?、ベンバ語でMuli shani? の代わりに、フランス語でBonjour! や Ça va?、スワヒリ語でHu Jambo? や Habari? なんて。

英語で Thank you! 、ベンバ語でNatotela! の代わりに、フランス語でMerci!、スワヒリ語でAsante! なんて。

訓練所で他国の同期が勉強していた言語の挨拶を思い出す、少し懐かしくもなる瞬間でした。

人々の顔を見ると、ザンビア人の顔つきではないこともはっきりと分かるようになりました。これは任国外旅行で初めてザンビアを離れて南アに行った時も感じたことでした。具体的にどこの国かを当てることはできませんが、同じアフリカでも国によって全然違うんだなあ、と思いました。

そして、ザンビアのどこの町にいても言われがちなChinaコールがないこと。これがないだけですごくストレス軽減されることを体感しました。


そして、Dに入ると居住区の中心地、36番通りがあります。メヘバではThirty six と言えば通じる、有名な道なのかもしれません。

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↑ この看板がThirty sixの目印でした。


まずはコンゴ人の方のお家を訪問して、お昼ご飯をいただきながら、お話を聞かせていただきました。お話を聞かせていただいた方の奥さんのご飯がとてもおいしくて、隊員が来る度に訪問させていただいているとのこと。

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↑ シマではなく、お米をリクエストできることがとても素敵です。


このメヘバライス、とても美味しくて感動しました。おそらく炊き方も上手いんだと思います。そして、ちゃっかりマーケットでメヘバライスをお買い上げして任地に戻ってきました。荷物に余裕があればもっと買って持って帰りたかったぐらい。ザンビアでよく食べているお米よりも甘い気がします。

エリアによって、作られたお米が少しずつ違うみたいで、食べ比べてみたいと思っています。セレンジェのマーケットにもお米は売られているけど、私はいつもスーパーで買ったものを食べているので、次なくなったタイミングかでチャレンジしてみたいな、と思っているところです。

お話を聞かせていただいた方は、Secondary schoolを卒業して、個人的な支援をして下さった方がいたお陰で、大学を卒業できたそう。その後首都ルサカで仕事を見つけて3年程働いたものの、詳しくは聞けませんでしたが、難民という理由で長くは働くことができず、メヘバに戻ってきて働いている、とのことでした。


お家に行く途中に、なんとインターネットカフェが…!ここThirty sixはメヘバの銀座(笑)、と先輩隊員さんが言っているほど、メヘバ内では栄えている場所でした。立派な電波塔もあり、メヘバ内では電波が良く、安定している方でした。

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↑ 外観のみの見学でしたが、中の様子が気になるところです。


 お次はマーケット。セレンジェの3分の1ぐらいの大きさで、売られている野菜や果物は、セレンジェとあまり変わりないのかな、と言った印象でした。

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↑ マーケットはどこの町でもそれなりに人が集まる場所なんだなあと実感。

ここではアフリカの他国のマーケットでメジャーなチャパティなどが売られていました。ザンビアのマーケットでは全然見かけないので新鮮でした。お昼ご飯の後でお腹いっぱいだったけど、挑戦してみればよかったです。まだチャパティを食べたことがないという…!

 

その次はAAR Japan(難民を助ける会)のオフィスへ。休日でお仕事はお休みでしたが、オフィスの敷地内に住む日本人スタッフの方がお出迎えして下さって、少しお話を聞くことができました。赴任してまだ長くはない方でしたが、元ザンビア隊員とのことで、お話できて嬉しかったです。

AAR Japanは現在、母国に帰還しなかった元難民の、ザンビアに定住することを支援する活動を中心に行っているそう。メヘバには元難民も難民同様、同じぐらいの数の方々が暮らしている状況。こちらへのアプローチも不可欠だな、と考えさせられました。

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↑ 日本人スタッフと、現地採用スタッフが働くオフィスでした。


そして最後に、Transit Centerへ。毎週100人程の難民を受け入れているそうです。まずここに3週間程暮らして、その後メヘバの中のお家に振り分けられる流れみたいです。

ここは写真撮影一切禁止の場所で、写真はないけれど、他の訪問した場所よりもすごく独特な雰囲気を感じさせる場所でした。男性、女性、家族が寝泊まりする部屋を見せていただいたり、ご飯を配っているところを見せていただきました。

人数が多くて全員が部屋に入らないため、家族が住む用に建てられたテントは少しあったものの、住環境はそんなに悪くなさそう、という印象です。Bording school、全寮制の学校の寮を思い浮かべるような住環境なような気がしました。

私が行った時がたまたまだったのか、ご飯はシマのみで、おかずまで配るのは難しそうな印象を受けたのは少し気になりました。

難民キャンプというと、ものすごく過酷な環境を思い浮かべてしまうかもしれませんが、ザンビアに半年以上住んでから訪問すると、意外とザンビアの田舎のお家と変わらない環境で生活できているのでは、とも捉えられました。それでもここメヘバの生活は、他のザンビア内に比べたら過酷という表現は間違いなさそうなのですが…!


Transit Centerでも、多くの方々が私たちに笑顔で挨拶をしてくれましたが、ここに来るまでの背景を思い浮かべると、胸が苦しくなりました。無事に家族そろって逃げて来られた方々、内戦で家族を失いながら来た人、両親を失って孤児として来た子ども、そんな方々にも大勢お会いしました。

先輩隊員さんが「いつもここに来ると、ああ、ここから始まるんだなあ、って思うよね。」と言っていたことが私は忘れられません。ここから楽しいことも辛いことも含め、新たな環境での生活が始まる。本当にその通りだと思いました。

これまではまず自分の身や家族の安全を確保することにまず必死だったかもしれないけど、その先の生活(学校、仕事)について考えていく。彼らにとって、ここに来たことは本当に大きな人生の変わり目だと思います。

ザンビアは1964年に独立してから民族間の紛争がなく、内戦が1度もない国であるため、平和な国とよく言われています。このメヘバは、他国から人を受け入れながら一緒に暮らしている場所であることから、ザンビアの中でも平和と言える場所の1つなのかもしれないな、と思いました。


私がまだ現地訓練中の時、首都ルサカのコンパウンド(この場所は、見る限り低所得層が暮らしている場所)を訪れたことがありました。おそらくザンビア人もあまり近寄らないような場所で、安全上の理由から、車の中から様子を見るだけでした。

その時に、同行していたボランティア調整員さんが、「本当に助けるべき人は、こういう所にいるのかもしれないですね。」と言っていたこともまた忘れられなくて、今でも覚えています。

このメヘバを訪れて、その時のボランティア調整員さんの言葉をふと思い出しました。

何が言いたいかと言うと、大変な状況で暮らしている人を目の前に、ただ何もできない自分がいる、悔しいというか、もどかしいというか、そんな気持ちが生まれた、ということです。


正直なところ、私の配属先は相当恵まれている環境だし、他の隊員を見ていても最低限は整えられている場所、安全を確保できる場所で活動していると思います。JICAとしても、隊員の安全を確保するということは、まず1番に来るところだと思います。

国際協力っていろんな形があると思うけど、改めて何だろう、と考えてしまいました。支援って何だろう、世界平和って何だろう、って。

そんな大変な環境の人たちを救うことだけが国際協力ではないことはわかっていますが、時にはこの配属先に私は必要ないのでは、なんて考えてしまうことがあると、もっと求められる場所で活動するべきなのかなあ、と、自信がなくなってしまうことがあります。

私が国際協力の現場に初めて足を踏み入れたのは、所属していた学生団体を通して大学1年生の時でしたが、その時に考えていたようなことと同じことを、未だにずっと考え続けているような気がします。

きっと一言で言える答えではないと思うし、答えの正解なんてないと思います。それでも、この隊員として生活する中で、自分なりの答え、考え方を自信を持って1つ言えるようになっていたいな、と思っています。未だに自問自答の日々ですが、自分の中で、この協力隊の活動の意味を上手く落とし込みたいと思います。

そんなこのメヘバ訪問で感じた多くのことを整理するので頭も心もいっぱいいっぱいで、自分の任地に戻るための帰りのバスの中、なぜだか涙が溢れ出していました。悲しい時も嬉しい時も涙が出てきてしまうけど、何だかそれとはまた違うような感情で。上手く言葉にできない多くのことを学んで持ち帰ろうとして精一杯だったんだろうな、と思います。

隊員としてできることは、本当に草の根レベルの支援、活動です。このような状況を見て帰ってきても、まず私は、私のことを受け入れてくれる配属先で、まずその目の前にある活動をしっかりとやるべきです。

何もできない自分なりに私にできることは、こういう風に何らかの記録に残して、誰かに現状を知ってもらうきっかけを作ることぐらいなのかもしれません。

やはり無力感はどうしても残ってしまいます。


それでも、このメヘバという地で活動していた先輩隊員さんと、そして一緒に訪問させていただいた先輩隊員さんたちと、同じ風景を見て、同じ時間を過ごすことができたこと。それだけでもすごく幸せなことだったんだな、と思います。

これまでにこのメヘバが任地の先輩隊員さんや、メヘバを訪問したことがある別の場所が任地の先輩隊員さんたちから、メヘバに関するいろんな話を事前に聞いてからの訪問でしたが、やはり百聞は一見に如かず。本当に言葉通りだな、と思いました。

改めて、そんないろんなことを考えるきっかけとなったメヘバ訪問、メヘバをアテンドしてくださった先輩隊員さんには本当に感謝の気持ちでいっぱいです。2年間でアテンドした方々は100人越え、という数字もすごいです。

ありがとうございました。


そして、その1に続きまして、その2も長くなってしまいましたが、お付き合いいただきありがとうございました。

少しでも自分が感じたことが誰かに伝われば本当に幸いです。

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