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朝が来た

 「朝が来た」は、直木賞候補になったことがある辻村深月の作品で、不妊治療と養子縁組がテーマの作品だ。不妊治療をあきらめて養子をもらい、その子に朝人と名付けた四十代の夫婦の気持ちを表した題名でもあり、望まぬ妊娠をしてしまった中学生のひかりが、出産後、荒れた生活からようやく抜け出せそうな希望を感じさせる題名でもある。
 

 最初の章は、佐都子が不妊治療を経て養子を受け入れるまでを描いている。夫のほうに問題があることがわかり、遠くまで一回三十万の治療を受けに行く。陰性が何回か続き、ついに二人は「もう、やめよう」と泣きながら決意するのだった。偶然テレビでNPO法人の養子縁組活動を目にし、説明会に参加する。そこの紹介で、佐都子夫婦は生みの親であるひかりも同席のもと、朝人をもらい受けるのである。

 念願の子供を手に入れ、幸せに暮らしている佐都子に電話がかかってくる。「朝人を返してほしいと。そうでなければ、お金を用意してほしいと。」ひかりであった。
 

 この中で、佐都子は朝人が養子であることを周囲の人たちにうちあけている。NPOの方針も子どもに早いうちに養子であることを告知しなければならない、ということだ。欧米ではめずらしくないことも、日本では、子供のやり取りが犬猫のようだという人もいるという。

 朝人は六歳だが、この事実をどう思っているのだろうか。私の場合は、私が二歳のとき母が再婚したので、父の養女である。小さいながら本当の父でないと知っていたし、学校の書類の「関係」には「養女」と書かれていたので、血が繋がっていないことをそのたびに意識したものだ。

 実の父は亡くなっていたが、もし生きていたら、会いたかったと思う。家族とは血の繋がりがすべてではない。もともと夫婦は赤の他人だし、犬猫でも一緒に住んでいるうちに情がわき、家族になるではないか。しかし、父には、成人した子どもが二人いて交流もあったので、私だけの父ではないということから、少し距離をおいた付き合いだったように思う。
 

 また、不妊治療への執着も少し理解できる。私も不妊治療を受けたからだ。薬を飲んでも効果がなく、注射に切り替えた。夫は「薬」で妊娠することに抵抗を示していたが、私は「妊娠してやる!」という意地のようなものがあった。

 幸いにも何回目かで妊娠することができたが、やはり、その過程は大変だった。排卵誘発剤で一度に十三個も排卵してしまい、副作用が出てしまったのだ。肺に水がたまり、集中治療室に入ることになった。職場にも迷惑をかけ、申し訳ない気持ちだった。

 副作用がひどいので中絶しないと母体が危ないと言われ、それは避けたいと、がんばってまずい病院食をたいらげ、元気なことをアピールした。まわりのおかげで回復し、集中治療室から出るとき、周りの人たちは驚いていた。ここは、簡単に出られるところではなかったのだと気づいた。

 「意地」の正体が、ほかの人ができていることを私も経験したい、というものだったのか、子どもを産み育てたいという年齢からくる本能だったのかはわからない。子供のころ、若い女の人が赤ん坊ほどの人形をベビーカーに乗せているのを、何度か見たことがある。今、見かけなくなったのは、不妊治療に臨んだり、養子を受け入れたりしているのかもしれない。
 

 さて、ひかりは中学二年生で生理もまだだった。仕事で忙しい父、教師の母、優秀な姉のなかで、孤立していた。特に母が自分の思うとおりにさせようとすることに反発し、隣のクラスの遊び慣れている巧と付き合い始めるのだ。まさか、生理もないのに妊娠するとは思わなかった。もう、中絶するには遅すぎた。

 母は、遠くの病院で子供を産ませ、養子縁組NPOに預けることを決めた。まず寮に入り、出産の準備をする。そこには、産み育てられない女性たちが何人か生活していた。そして、産んだ後また、日常生活に戻っていくのだ。 連れ子を新しい夫に虐待され殺されたニュースをよく聞く。そんなことになるより、養子に出されるほうが幸せになれる確率は高いだろう。
 

 ひかりは知らないうちに保証人にされ借金を返済する羽目になり、佐都子を脅迫する。しかし、朝人を前にそんな自分が不甲斐なく、死んだほうがよいとまで思い詰める。そんなひかりに朝人が「広島のお母ちゃん」と呼びかける。ひかりにも存在意義があるのである。
 

 アメリカでは「おとうさんに似ていますね」など、家族のことを話題にすることは避けましょう、と言われる。いろいろな家族があるからだろう。日本も今後そうなりそうだ。

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