30年を振り返ってみる

このたび30歳という節目の歳を迎えましたので、
これまでの私をざっと振り返ってみます。

1994年、北の大地にて、教員の両親の元に爆誕。
両親が事前に決めていた名前があったが、生まれて顔を見たらなんか違う、とのことで急遽変更。今の名前になる。画数完璧。最強の運勢を手にする。

0歳〜2歳
当然覚えていないが、早々に託児所に預けられる。
泣くと押入れに閉じ込められていた。一緒にウルトラマンの人形がいたことは覚えている。
当時託児所に預けられていた子供の中では一番小さかったが、一人でなんでもできる子だったらしい。優秀。
ただ、あんまりご飯を食べなくなってしまったため、保育園へ移動。

3歳〜5歳
近くの保育園に早めに入れてもらったので、年少クラスを2回経験。
一番早く預けられて、一番遅く迎えに来てもらう子供だった。
日中ブランコの取り合いに参加できず、帰る時に母親付き添いのもと一人でブランコに乗っていたらしい。

6歳〜9歳
突然実家が新築一軒家になる。小学生になる。
学校が終わっても家に人がいないので、自分で鍵をあけて家に入るしかないが、1年生の頃は鍵穴に届かないので、玄関先にビールケースを置いて台にしていた。(お向かいの家のおじいちゃんが見守っていてくれたらしい。)
ゲームを買わない方針の家だったため、町中を自転車で走り回ったり、公園の遊具でアグレッシブに遊んでいた。
友達の家で初めて炭酸ジュースとポテチを食べて感動する。

10歳〜12歳
小学校の中でカーストが発生するが、たまたま上位層と仲が良かったために上位層の中の一番下、というなんとも微妙なポジションに着いてしまい、人の顔色を伺うクセがつく。
走り方を覚えて足がちょっと速くなる。本を読むことにハマる。夜遅くまで読んでいたせいか、目が悪くなりメガネをかける。ジャニーズにハマり、部屋の壁一面をポスターで覆う。

13歳
中学の入学式で新入生代表の挨拶をする。優秀。
その次の日に父親が失踪し、そのまましばらくして両親が離婚。
並行して、母方の祖父の末期がんが分かりてんやわんやする。
母親の意向で、コンタクトを買い与えられ脱メガネ。(可愛い方がいいでしょ、とのこと)

14歳
2年生から陸上部に入る。ここで恩師に出逢う。運が良い。
勉強しなくても成績が学年2位だったり、陸上の大会であっさり優勝したりして天狗になる。後半にかけてクラスの女子から省かれはじめるが、
同じタイミングで祖父が亡くなったり、母親が血を吐いて入院するなどあり、バタバタして本人気づかず。
祖父の葬式で、受付や来賓の対応をせかせか頑張るが、全く協力しない3つ上の従姉妹とちょっと仲が悪くなる。

15歳
本格的にクラスで省かれ、やっと本人気づいて学校に行かなくなる、が
部活と生徒会だけは顔を出し続ける。(なぜこれが許容されたのかは今でも分からないが、恩師の計らいだと思っている。)
体育祭でクラス対抗リレーがあり、陸上部だったためにクラスメイトがちょっと歩み寄ってくるのを利用して、ぬるりとクラスに復帰する。(ここで実力が自分を助けることと、本音と建前を学ぶ。)
受験で学力テストを受けたくない(落ちるリスクが怖い)ので、推薦で高校を決める。

16歳〜18歳
中学時代の失敗を活かし、無難な高校生活を送る。
陸上部に入るが、先輩と馬が合わずに1年以内に退部。
母親からバイトは禁止されていたため、学校帰りに毎日カラオケに行くようになる。友達とバンドを組んで、ライブハウスで歌ったりもする。
早く自立がしたいので高卒で働こうとするが、母親に止められる。
受験でセンター試験を受けたくない(落ちるリスクが怖い)ので、推薦で短大を決める。
推薦面接の直前に、父親が倒れて植物状態になったことを知らされ、一人で面会に行きショックを受ける。人間は心臓が動いていることではなく、反応がある状態を生きていると言うのかもしれないと思う。(諸説あり)
後日、母親を説得しもう一度面会に行き二人で号泣する。(その直後に転院してしまい転院先は知らされなかったので、タイミングがよかった。)

19歳〜20歳
短大に入り、一人暮らしをはじめる。
マクドナルドでバイトを始め、週6でシフトに入るようになる。
1年でSW(バイトリーダーみたいなもの)になり、自分の承認欲求が仕事上の評価で満たされることを知る。
稼いだバイト代で勝手に中古車を買って実家に帰り、母親に驚かれる。
入学当初、地銀に就職することを考えていたが、求人内容を見て興味がなくなる。
実家から通える会社1本に絞り、まったく就活をしなかったが、運良く内定をもらう。

21歳〜24歳
社会人になり、会社の都合のみで職場が選ばれ配属されるが、蓋を開けたら「仕事楽しい!!!」となる。
一般職だが、やってみたいことをなんでも挑戦させてくれる上司だったため、3年目から前任が総合職だった業務を任せてもらう。運が良い。
そこで、ルーティン業務より、システム導入や新しい制度への対応検討の方が、自分が楽しいと感じる分野だと知る。
同期の中で運良く旦那を見つけ、入社からまる4年で寿退社する。
もうすぐ北海道を出るぞ、の頃に父親の訃報が入る。相続放棄の手続きでてんやわんやする。

25歳〜26歳
母親に快く送り出され、結婚を機に関東へ。改姓した途端に車をぶつける。
どう考えても普通の賃貸は家賃が高いので、築うん十年の社宅に落ち着く。
専業主婦になろうと思ったが、1ヶ月で挫折し、再びマクドナルドでバイトをはじめ、そこから数ヶ月でデスクワークもやりたくなり、WEB制作の会社に会計補助のパートとして入る。(しばらくダブルワーク)
WEB制作会社で思ったより前職の知識が活かせたのか、数ヶ月で契約社員→数ヶ月で正社員になる。人が少なかったので、最終的に会計・採用・営業・社長秘書を兼務することになるが、激務すぎる&残業代があまり出なくて旦那に止められる。
転職を決意し、面接をした1社目で運良く内定をもらう。(今の会社)

27歳〜29歳
改姓の呪縛が溶けたのか(変わってないけど)、上司運とメンバー運が抜群によくなり、「仕事楽しい!!!!」となる。
入社早々に人が足りない!と言い出し、自部署の人数を増やしはじめる。(結果的に会社の人数がとても増えたので、先手を打った感を出しておくことにした。)
役職がつき、新しいことをどんどん進められるので、自分が楽しいと感じる分野にかけられる時間が増えるようになる。
お酒を飲むことが楽しいと思えるようになる。
プライベートでも意識的に新しいことに挑戦しよう、と思うようになる。
自分の気分の浮き沈みをほぼコントロールできるようになる。
体重の増減がコントロールしづらくなる。毎日サプリを飲むようになる。


と、こんな感じで30歳になりました。
振り返ってみて、私は相当運が良い人生を送っているので
次の30年も運に助けられたいなぁと思いつつ
また振り返ったときに運がいいなぁと思えるような人生を続けていきたいなと思いました。

30歳も全力で駆け抜けよう。

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