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Vol.66:「青神馬マキコ」と勇気の花

多幸の山自然学校のイベントで「青神馬マキコ」と初めて出会った。

イベント時に参加者を盛り上げようと、くだらないトークで爆笑を生み出す私。それが彼女のツボにハマったようで、すぐさま、源河町への同行を求められて交流が始まった。

「青神馬マキコ」は、不思議な人脈を引き寄せる能力があり、種を蒔いて廻る存在、といえば良いだろうか。多くの物事に関心を寄せ、速攻で動き、種を蒔き、人を繋げている。5人の子供を産み育てた肝っ玉母さんでもある。

「観察者ユリヤ」と「青神馬マキコ」を当然ながら引き合わせてみた。「観察者ユリヤ」の見立てによると、「青神馬マキコ」の背後には美しいサラブレッドの馬が見えるという。「青神馬マキコ」も「観察者ユリヤ」のセッションで人生の答え合わせをし、何かの確信を得たようだ。

彼女に導かれ、伊平屋島、伊江島、奥、源河町、大湿帯、ハーブ園など、多くの場所を訪問し、彼女の巻いた種を孵化させる手立てを試みている。

しかし、あまりにも巻いた種が多すぎて、スケールも大きく、なかなか現実化のお手伝いが出来ていないのが現状だが、「青神馬マキコ」は止まる事はない。

彼女が沖縄に移住したのは2011年3月11日がきっかけである。被災者と言っていい。このタイミングで沖縄移住した人は結構な数がいる。そして、移住したのは良いものの、行政の支援なども充分ではないのが現状で、困難な状況を強いられ続けている人も多いらしい。あれから10年が経過した。おそらく、「青神馬マキコ」は3・11に本来の使命に従う生き方にシフトしたのだろう。子供5人を抱えて女手ひとつで移住した壮絶な覚悟を思うと胸が締め付けられる。

「青神馬マキコ」が巻き起こすミラクルを様々見てきた。

彼女に連れられてやんばるを車で走っている時に、なんと、ヤンバルクイナを4度も目撃し、彼女は、ヤンバルクイナが走り去る動画撮影まで成功させた。
お尻をプリプリと動かしながら走り去るヤンバルクイナの姿は滅多に見られないハズである。自然や精霊に愛されていると言っていいだろう。

伊平屋島では、天の岩戸神社にて見事な日輪が現出し、伊江島では巨大な虹も現出した。

「月桃神テツ」「仙人リチャード」「虹乃龍ミサキ」「聖樹フミコ」「ハーブ師匠」「薬味神ヒフミ」「微生物サトシ」「青龍王ワン」「源河王シマ」「天然草アサミ」など、多くの琉球エターナルズ達と繋げてくれた存在である。

「青神馬マキコ」と何か大きなプロジェクトを成し遂げたい。そんな感情はいまだ健在である。私にもっと力があれば。そんな思いがよぎる日々である。

彼女が蒔いた種。いつか必ず芽が出て花を咲かせるだろう。
長渕剛の「勇気の花」の歌詞を思い浮かべる。

花びらの色は白か黒かのどっちかだ。

白であろうが、黒だろうが、躊躇せず動き続け、でっかい勇気の花を咲かせようとする「青神馬マキコ」は、白か黒かの二元論を超えた、インディゴブルーの花を咲かせるかもしれない。

続く。

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