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ゆく歳くる歳

2020年はいろんな事があった。良かった事悪かった事。歳の終わりに振り返ってみる。
世界中の誰しもが、2020年はコロナ禍で最悪な歳だったと振り返るのが普通であろう。
しかし、昨日、偶然にであったニシトアキコさんのワークによれば、良い事、悪い事というのは、本人の受け止め方に影響されているに過ぎなく、100人いれば100通りの受け止め方があるという。
コロナ最悪としか考えていなかったし、世界中がそうだと思い込んでいたが、別の捉え方があっても良いと気がついた。
過去の体験は如何様にも記憶として書き換えられるという事らしい。
例年どおりだと、自分が思う良い成果が多ければ、良い歳だったなと振り返るわけだが、良い、悪いにも、それぞれのフィルターがあり、万人共通ではない。

まずは、ポジティブシンキングで2020年を振り返ると、コロナで家に引きこもる機会が増えて、長い人生の中において、ゆっくりと自分1人の時間を過ごし、自分自身と向き合えた貴重な時間を過ごせた、という事が言えるだろう。
コロナのような出来事がなければ実行出来なかったのではないか。
そして、行動に制約が起きて、本当に自分が、このコロナ感染のリスクを承知で、それでもやりたい事とは何か、という事が見えてきたように思う。

ポジティブシンキングにはその裏にネガティブシンキングがセットでついてくるらしい。ネガティブな感情を努力で打ち消そうとするためにポジティブシンキングをしているに過ぎないから、結果的に、ポジティブシンキングをするたびにネガティブシンキングも刻み込まれているものらしい。

良い歳だったか悪い歳であったか。そんな事はもうどうでも良いのだろう。
良い、悪い、という事すら、もう、どうでも良いのかもしれない。

クリスマスプレゼントに自分自身のご褒美として何か物欲を満たそうと思っていたが、結局、欲しいものはもうそれほどなく、結局、ニシトアキコの学校の受講という事にした。この出会いも偶然である。
YouTubeでwinwinwiiinを見た。その流れでプペル関連の動画をみて、鴨頭×西野の対談を見る。その流れで、鴨頭×ニシトアキコの動画にたどり着いた。そんな流れだった。そして、ちょうど考えていた事とニシトアキコ氏が言っている事とのシンクロを感じたのだ。その偶然を久しぶりに追いかけてみようかと思ったのだ。

例年であれば、良い歳か悪い歳かの判断基準は、私の場合、作品数とそのクオリティに終始していたと思う。果たして、それだけなのか。これをいつまで続けるのか。作品数が少なく、受賞数が少なければ、その年は価値のない一年とみなしていたように思うが、そこまで無価値だろうか。

そんな事を振り返りながら過ごす大晦日である。

今年は両親への感染リスクを避けるために帰省しない事にした。
思いかけず、自分に向き合う大晦日と正月になりそうである。

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