べきべき論者だったあの頃の自分

自分が昔に書いたmixiの日記(2011年頃)を見ていたけど、
なんだか押し付けがましさを感じて鬱屈とした様子だった。今も押し付けがましい所はあると思うけど、丸くなったと言うか、そんなに無理をしないようになったかなーという気はする。

今となっては、人間なんてのは嘘をつかなけりゃそれで十分だ。他人もそうだがまず自分に嘘をつくな。俺が言いたいのはそれだけだ。

そんでもって当時の俺は男は仕事!女は家庭!みたいな無茶苦茶な考え方だったようですな。古い。カビが生えとる。腐って食えたもんじゃない。
そもそも自分がろくに仕事も出来ない癖に何を言ってるんだか。俺は駄目だけど皆はちゃんとしろな感じだったっぽいな。うんうん。
アホなのか俺は。視野が狭いなあ。

当時付き合っていた彼女と別れたばかりで少し弱ってた時で、とにかく先の見えない未来と孤独感に苛まれていたようでした。
今にして思えば笑い話だけど、当時は真剣だったように思う。だからもし、これを読んでいる若い人が居るのなら未来という物を必要以上に恐れないで欲しいなーと思います。
その代わり、出来ることなら他人に自分の長所を聞いてみて欲しいです。
人間って、どうしても自分のことはよく見えていない物なので、ひょっとすると貴方が悩んでいることに繋がることが貴方の長所なのかも知れないですよ。
例えば、自分に自信が無い人(おどおどしているくらいでも)や優柔不断な人が人当たりが良いと思われてたりとか、そういうことがあり得ます。結局そういう所が、他人から見て貴方に変わってほしく無い所だったりして?
ワシが実際に他人から言われたのは面倒見が良いとか気分にムラがないとか声が通るとかそんな所らしいですわ。
面倒見?そんなものはない!
後輩に仕事を教えて楽になろうとしているだけだぞ!で、やることがなくなるわけだ。えーんえーん。
あと紳士的とか身に覚えのないことを書かれたことがある。は?紳士?どこがや。変態と言う名の紳士と言うには心当たりはあるが。とまあ思っても見ない意見を貰うことがあったりするわけです。

これからの人生で、仲良くしていた人や知人が良くも悪くも思いもしない方向に進んでいくかも知れません。そんな時に自分はどうしたいかという気持ちや信念のような物をしっかり持って欲しいかなと思います。流されてばかりだと、自分を見失いますよ。

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