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ぺんぱんの自己紹介

こんにちは。ぺんぱんです。
Twitterを通して私に興味を持ってくださった皆様に、もっと私の事を知っていただきたく簡単に自己紹介noteを書いてみます。
仕事以外でまとまった文章を書くのは久しぶりなので読みにくい箇所もあるかもしれませんが、5分くらいで読めるコンパクトな内容なのでお付き合いください。

※身バレ防止の為一部ぼかしや曖昧な表現をしてます。


①学生時代_親の敷いたレールの上を爆走

199X年生まれ。生まれたのは東京ですが、幼少期は親の仕事の都合で北海道と同じくらいの緯度にある海外の田舎町で育ちました。
中学~高校時代はこれまた田舎町、1都3県のはしっこの方で勉強も運動もほどほどに頑張る平凡な学生生活でした。

親の希望で通い始めた習い事・親の希望で通い始めた学習塾・親と塾の先生が決めた大学受験の志望校
大変恥ずかしながら特に熱中できる事のなかった私は全て親の言う通りにしており、それで親が喜べば正解なのだと妄信しておりました。

そんな子供時代を過ごしてしまった人間が大学から急に変われる訳もなく、「1年留年&留学してから就活したい」という願望は親の反対を押し切れず断念。
大学3年生になってもなおやりたい事がなった私は、「とにかく大手に行く!!」という陳腐な目標の下就活をスタート。
自分で言うのもなんですが、早期から就活に取り組み多くの時間も費やしたので就活は割とうまくいったと思ってます。(就活の詳細は需要があればまたnote書きます)

【ぺんぱんの就活の流れ】
大学3年夏:内定直結型のサマーインターン
大学3年秋:サマーインターン経由で初内定
大学3年冬:ウィンターインターンとOB訪問
大学4年春:早期選考経由の内定が増え始める
大学4年夏前:手持ちの内定よりも魅力的な数社だけ受けて全落ちする

複数企業から内定をいただきましたが、結果私が就職する企業を選んだ軸は
・転勤がない
・給料が高い
この2つのみです、そしてこれが私の地獄のJTC生活への入り口でした。

②新卒でJTCに入社

新卒から転職までの数年間は地獄のような生活でしたが、今振り返ると経験しておいて良かった面も多々あると思ってます。
良かった面を書いても面白くないので、地獄だった部分のみ抜粋して記載していきますね。

主な地獄は3つです。
①夜中の呼び出し
夜中に上司から電話がかかってきて「今から飲みにいくぞ」これはお誘いではなく命令です、断ると仕事しづらくなりかねないので反強制です。

②パワハラ
社内で他の社員がいる中怒鳴られるというのは、怒鳴られているのが自分でなくとも嫌な気持になります。男性社員はシャツの襟をつかまれるというドラマかな?というようなパワハラも日常茶飯事でした。

③出世の為の虚偽報告合戦
社内表彰を狙った社員の卑劣な虚偽事例報告合戦が横行。
虚偽と分かっていても目を瞑る中間管理職の姿に数年後の自分を重ね絶望しました。

特に③が決め手となって転職を決意。
どうやら私は「こうなりたい」よりも「こうなりたくない」というモチベーションで動くタイプのようです。

③外資ITへ転職

5ヵ月間の転職活動の末外資ITに転職。今の所レイオフされずに耐えてます。
仕事が楽になったかといえばそんな事はありません。
ですが1社目での無駄なアピール合戦や会議の為の会議、大量の定型業務処理をしていた時と比較すると、遥かに顧客の問題解決や自身のスキルアップに時間を割けているので日々仕事を楽しめています!

ここまで記載したような経験から
「就活で私のようなミスを犯してほしくない」
「20代-30代で無駄な時間を過ごしてほしくない」
という考えの下で私はTwitterでの発信をしておりますのでこれからも温かく見守っていただけると幸いです。(ネタツイも生温かく見守ってください)

最後に

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
少しでも私の事を知っていただけたら幸いです。
私に興味を持っていただけた皆様の事も是非知っていきたいので自己紹介note等を執筆された際はぜひお声がけください!
これからも皆様が少しでも面白い!役に立つ!と思ってくださるような発信をしていくので是非フォローしてお待ちください!
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