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遠慮と配慮って違うよね

後輩に、ぬりたてさん的に恋人と長続きするにはどんなことが大事だと思いますかと聞かれて、いい意味で喧嘩をすること、と答えた。相手の納得いかないところを勇気出して踏み込んで伝えて、お互いに落としどころを見つけて歩み寄ること。相手に対してわからない、もやもやする、をためこまないこと。そして何よりも幸せな感情を、めいっぱい伝えて共有すること。そんなことを話したように思う。

口ではそう言っているが、僕自身なかなかそうできない。人と喧嘩をするのがこわい。本音をぶつけることがこわい。相手の気持ちを傷つけるのを恐れるし、自分が傷つくのだって同じかそれ以上に恐れてるんだろう。でも、遠慮して心に蓋をして、気持ちを見ないふりしていても、もやもやは消えずに残り続けて、いつかもう元に戻れないほどに膨れ上がってしまう。どうやったら、本音を明かし合えるようになるかな。


何かを伝えたり、メッセージを送ったりすることを、ついためらって遠慮してしまうことがある。けれど、それは単なる自己保身であったりしないか。そこの遠慮から一歩踏み込んで、相手の受け取り方や気持ちの動きに敏感でいながら、勇気を出して本音を伝えること。本音を受け止め合う関係を築くこと。受け止めてくれる安心感があることが、きっと何よりも意味が大きい。本音を出してもらうには、自分からも本音を出していくことだろうし、そのためには自分の本音に自分で敏感でなければならない。内なる声にしたがうこと。


遠慮と配慮って、違うよね。今の僕の行動は、遠慮なのか配慮なのか。相手に行動を遠慮させていないか。常に自問自答したい。


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