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「縁を活かして人生をenjoy」開成卒ペッパー芸人金子が次行く先は「シニア」

初めまして。
開成高校、令和2年卒赤組の中沢と申します。

たくさんの個性ある生徒が集った母校。
開成生活で何を得てどんな大学生活を送っているのか。
様々な先輩の人生をインタビュー形式で少し覗き見させてもらいながら筆者含めた悩める卒業生、現役生やはたまた入学を志望する方々の参考になれればと思いこのnoteを立ち上げました。

早速ですが、第一回のインタビューでは、、、

開成→慶應の進路を辿り、コンサルタント、ベトナムでの海外勤務、芸人生活を経てシニアの方向けの人材紹介ベンチャーを手掛ける平成21年卒、紫組の金子さんにお話をお伺いしました。

開成時代の夢は「ベンチャー」

ーーー開成時代はどんな学生だったんですか

テニス部でテニスばっかりしていて、キャプテンもやってました。
運動会では高1サブチーフやったりして、でも成績は下の方でした。



今思うと開成って授業への参加が、生徒の自主性に任されているのが良いですよね。
Preferred NetworksというAIベンチャーで、社長をしている西川さんの本を読んでた時に、そう思いました。


西川さんは筑駒出身なんですけど、その人の本に「授業中パソコンでプログラミングしてたけど怒られなかった。そのことも今に活きている」って書いてあったんですよね。


のびのび自分の興味を持ったことに熱中できる点がすごくいいと思います。

ーーー先生方との思い出はありますか?

青木先生って体育の先生、当時から野球部の監督されてたんですけど、大学入って野球の早慶戦を見に行った時にお会いしたんですよ。

斎藤佑樹選手(ハンカチ王子)が出てる試合ですごく盛り上がってて、その時青木先生にばったり球場で見かけたんです。


「青木先生、こんにちは!金子っていいます!覚えてますか?」
「あーわかるよ〜」みたいな軽い会話をして、そのあと試合見てたら早慶戦の主審が青木先生だったっていうびっくりエピソードありました(笑)

ーーー当時の将来の夢って何でしたか?

中学時代に堀江貴文さん(ホリエモン)が出てきてて、当時の影響力が凄すぎたのでベンチャー作っていきたい、って思ってました。

テレビ局買収したり、六本木ヒルズに住むなどそのスケールの大きさに中学生ながら憧れてましたね。

そういうのを見て、ざっくりですけど起業家に興味はありました。

ただ大学で就活終わるまでは、実際に何か動かしていかなきゃっていう感じではなかったですね。

金子さんの卒業文集のページ。
当時から起業の夢があった模様。

後悔はない。でももっと開成を活用できたかも

ーーー当時に戻ったとして、これをやっておけば良かった、っていう後悔ってありますか?

正直後悔はないです。ただ羨ましいな〜って思うことはいくつかありますね。



最近だと、中3高1で1年~2年海外の中学や高校に留学している人が数名いるようで、羨ましいですね。
1年間、アメリカあたりに行って普通に生活しているだけで英語ができるようになって、って素敵です。

正直、英語の勉強って日本でもできるけど、ある程度のレベルになるまでに努力がいるじゃないですか。

別に留学経験なくてもどうにかなるような気もするから、絶対ってわけじゃないけど、選択肢として面白かったなって思います。

あとはアメリカやシンガポールの大学に進学するということも当時は、考えたことなかったけど、素敵だなって思いますね。

ーーー開成から海外の有名大学への進学も増えててすごいですよね



もう一個思うところがあるとすれば、テニス中高大ってずっとやってたけど、結局選手にならなかったわけで、テニスをしていたことがどれくらい役立っているかってわからないですよね。楽しかった点は良かったと思っています。

ただ、
落合陽一さんが学生時代に物理部だったって話聞いた時に、絶対に今にそれが効いてるって思ったんですよね。

当時は文化部に興味が湧かなかったのですが、将来のことを考えたら、むしろ、文化部の方が良いかもって思いますよね。

運動部のように、中高週3回ずっとコンピュータをしていたら、コンピュータ得意にもなると思います。
今コンピューターがめっちゃ得意だったら、貴重な人材になる訳じゃないですか。そう言うのを当時誰か言ってくれれば、兼部しようと思ってたかもしれないですね。

ーーー運動部って社会性を学ぶために大事って言われるけど、本当に役に立ってるか誰もわからないですよね。

縦横のつながりはとてもありがたいですし、運動習慣もつきますが、文化部に入ったり、外で課外活動をするといった選択肢も十分検討の余地があると思います。

ただどこかの部活には入る流れだから、部活に入らないって選択をするのってなかなか難しいのかもしれないですね。

今だから色々な選択肢を思い付きますが、当時は1ミリも思わなかったし、こう言うきっかけで言うことはいいことかもしれないですね。
このブログを読んで運動部でなく、例えば文化部に入ろうと思う人がいたら、それだけでこのブログの価値があったと思います。

サンフランシスコで部活の同期と再開した金子さん

開成の1番の恩恵は「縁」

ーーー金子さんは開成からどんな影響を受けたと思いますか?

人とのつながりという影響が大きい気がします。

官僚もいる医者もいる弁護士もいる、みたいな同級生、先輩後輩のつながりはとても嬉しいです。


開成出身って言うだけで親近感湧くし、実際にお会いさせて頂けることもあります。
Facebook開成会に落合さんなど有名な方もいるし、正直ビビりますよ。

そういった繋がりはすごいありがたいなって思います。

大企業に就職する方が多く、スキルも能力も素晴らしいからだと思うのですが、開成で色々な刺激を受けたからこそ「起業」という選択肢が出てきたように感じています。


世界進出の第一歩は大学生活の中に

ーーー大学生生活は何をされていたんですか?

大学は正直遊んでました。飲み会やったりテニスやったりいわゆる大学生でしたね。
彼女ができたりなど楽しかったですが、遊んでばっかりって今思うとよくないですね。


逆にゆっくりしたからこそ、今は仕事に集中して社会に貢献していこうと思えるので、学生時代に遊んだことは良い面もあったと、自分では開き直ってます(笑)


あとは時間があるからこそ将来を考える時間がたくさんあったとは思います。
全国から集まってきた仲間と、考えていること将来のことなどを話して、価値観の相違がわかったのも面白かったです。


ただ大学に行く意味がどこまであったかは不明です。高卒でビジネスで活躍している人もいますし、そもそも学校に通っていない人もいるので、学校に行く意味はしっかり考える必要があるのだと思います。
例えば中高大合わせれば10年間あり、すごく貴重な時間だと思います。その時間に事業をしていれば、かなり大きな事業を作れると思います。

ーーー何か価値観が変わるような経験はありましたか?

大学の最後、就活が終わってから4ヶ月かけて世界1周旅行をしたんです。
15回くらい飛行機乗って1周して日本に帰ってくる。
ヨーロッパは鉄道で回ったりとかもしたので合計で29カ国くらい回りました。


正直、それが大きく価値観に影響を与えたかはわからないけど、世界で事業したいなーってその時思い始めました。

実際ベトナムで働くことになったのはそれがきっかけですね。
新事業を立ち上げ中でこれからですが、世界で活躍できる人になりたいと思っています。


世界旅行中、トルコ美女との一枚

世界の第一歩はベトナムへ

ーーー大学卒業後は何をされたんですか?

シグマクシスというコンサルの会社に入社したんですけど、世界一周してから海外で働きたいって思いが強くて4ヶ月で退社しました。
色々海外で働くことを考えた上でベトナムの企業とご縁があったのでベトナムで就職することになりました。

ベトナムでは日本人の現地採用の就職支援をやってました。

給料的には現地のベトナム人よりは高いけど、駐在の日本人よりは安いような給料で自身は働いていて、ベトナム人/日本人を採用したい日系企業向けの営業の仕事ですね。


業務上、候補者のベトナム人との直接の交流はなくて、就職志望者と実際に面談したキャリアアドバイザーから、経歴/スキルなどを聞いて、それに合う企業を探して紹介するような感じです。


業務は英語も使いましたが、ベトナム人もネイティブではないので、英語のやり取りはなんとか出来ていた気がします。

ーーー海外で働くのって日本と違いますか?

違いはあまり感じなかったです。ただ空気が汚くて、それが正直きつかったです。それ以外はあんまり変わらない気がしますね。
とはいえ、そもそも日本で長く働いてないので、比較できないかもしれないです。

ベトナムでの一枚

芸人になるってそこまでリスクじゃない

ーーーその後芸人になられたんですよね。一体何があったんでしょう

きっかけは何か人と違う尖ったことを始めようって発想です。

エッジの効いたことをすること、人と違うことをすることそのものが何かの価値になるんじゃないかと思って芸人になろうって決めました。

自分の中ではそこまでチャレンジしたとか、リスクをとったって思ってないんですよね。


別に芸人になるだけなら1年くらいやって日常に帰ってくればいいし、リスクといっても学費(NSCの学費は一年間40万円)がかかるくらいです。
もちろん、
大手の会社にずっと勤めてて、芸人やった後に同じ場所に戻れるかは怪しいですよ。
でも、独立しようって決めてるならチャレンジしてもいいと思います。

Pepperとネタをする金子さん

ーーーやっぱり養成所の友達って面白いんですか?

お笑いばっかり練習してるから、お笑い的な面白さは凄いです。

大喜利とかみんなすごかったし、即興劇とかも勝てないなって人たくさんいました。



授業であったのが、橋ですれ違う即興劇です。

2人が逆方向から架空の橋を歩いてきて反対側に渡ろうとする、みたいなところから始ります。

そのやりとりを先生が審査して、どっちの人が面白かったか決める授業なんですが、すごかったです。

変な歩き方してみたり、ダメよん〜、みたいにお姉っぽく話してみたり、逃げ回ってみたり。とにかく面白くて勝てないなって思いました。


ちなみにロバートの秋山さんと、仕事で少しだけ一緒することがあったのですが、すごすぎてビビります。
テレビで見てても凄いけど、一緒に仕事したら、相撲取りと赤ちゃんくらい格の差を感じると思います。

テレビに出演する金子さん

養成所で天才を目の当たりにした

ーーークラスで一番面白い人ってどんな感じなんですか?

とにかく凄いです。
キム兄の大喜利の授業があったんですけど一番面白いって言われてたやつは、ヒトカゲがリザードンに進化するモノマネをずっとやってました。

「今リザードンになりかけてます!」「進化します!」みたいなのずっとやっててそれが本当に面白くて、「こんな授業は嫌だ。どんなの?」とか大喜利やってる中で、枠にハマらないでポケモン進化のモノマネはもう勝てないって思いました。

ーーー金子さんはどんな芸をやってたんですか?

ペッパーと漫才してました。

面白いものを作るのは大変だったけど、ペッパーくんいたから、助けられましたね(笑)。
ペッパーと漫才できるよって言ってくれた開成同期のAIエンジニアがいて、その彼が一緒にやろうって言ってくれたんですよ。


顔が見える仕事がしたい

ーーーどのような経緯でベンチャー立ち上げに至るのでしょうか

自分の生き方を考えた時に、もっと個人の顔を見て頑張りたいなって思って、芸人をやりながら家庭教師を始めたんです。

自分の経緯として最初はコンサルティング会社から始まり、ベトナムでリクルート、芸人、家庭教師ってどんどん個人に対象が向くごとに面白くなってきたって感じですね。

それで、これから顔の見える事業をやっていこうってなったわけです。

父も開成で今年で69歳ですが、父の開成の同級生の方と話すと今働いていない方も多く、社会にまだまだ貢献して頂ければ嬉しいと思いました。

金子さんのご家族


私はこの人たちはまだまだ働けると思っています。だからシニアの人材紹介をどんどんやっていきたくて、シニアの人材紹介ベンチャーっていうのをやろうと思っています。

最初から需要が高いスキルを持っていればそのまま紹介できますし、データ分析とかプログラミングとか最近のスキルについてのカリキュラムを作ってスキルを身につけてもらってから紹介するとか、そういうことを構想しています。

一旦は皆さんスキルがあるのでまずは人材として紹介する段階を目指したいですね。
ただ本当にこれからなので、まだ無の状態でインタビュー受けてるの変ですよね笑。

ーーーこれから先の目標はありますか?

これから先はシニアの人材紹介事業を伸ばして、ベンチャーとして大きくしていこうと思っています。

世界で見ても、我々日本人が海外で売れるものって何かというと、製造業、漫画、国の綺麗さなど色々あると思うんですが、一つは高齢化に対するビジネスモデルだと思っています。


シニアの人が就職した事例を溜めていけばそれを海外でも当てはめていけるんじゃないかと思っています。
自分が教育事業をやってきた経験をもとに、シニアの方にスキルをお伝えすることも含めて紹介するという形で、進めていこうと思っています。

95歳、現役で働かれているお祖父さま

ーーー座右の銘は

「エンカツに行こう」が座右の銘ですね。

自社名のアピールになっちゃってますね。


「エンカツ」って社名は意味として2つあるんですけど、1つはご縁を活かすって意味です。生きていく上で人との縁は良い評判もそうでない評判も作るものだから、ご縁を大切にしていきたいと思っています。

もう一つは、楽しく生きたいって意味です。エンジョイ活動の略で、「「エンカツ」に楽しいことをしましょう!」っていう意味も込めて付けました。


ただ将来のために多少大変だけど頑張らなきゃいけないこともあると思うので、そこはバランス良くやりたいですね。
楽しいことだけしたいというわがままを主張し、その中で社会に貢献できる部分を探す働き方が、すてきと思っています。

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