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なぜ眠たくなるのか。

なぜ眠たくなるのか。
眠ると気持ちがいい。眠らないとしんどい。あまりに眠らないと体調を崩し、最終的には死んでしまう。また、ウサインボルトなど一部のトップアスリートは1日に12時間も眠るらしい。眠りとはなんなのか。眠らない生き物は存在しないのだろうか。しらんが多分いると思う。半年前くらいにyoutubeで見た動画(99%が知らない世界の事実みたいなチャンネル)では、確か眠りが脳のキャッシュの削除とか記憶の定着や整理に絶対必要な時間だ〜みたいなことを言っていた気がする。まぁyoutubeなので話の半分くらいは間違っているだろうし、僕はその動画の内容を5%くらいしか覚えていないので、先ほど書いたキャッシュ云々の情報の確度は0.5^0.05^100で2.5%くらい。ほとんどゴミと言っていい情報の精度ですね。こんな何次情報かもわからない情報を垂れ流す行為はツイッターでケムトレイルとか人工地震を喚き立てる人間と本質的にやってることが同じだと僕は思います。僕はこのnoteを嫌悪します。なんかアニメっぽい言い回しになりましたね。あと嫌悪ってなに?動名詞?最近この動名詞とかが気になるようになってきた。なんでかは知らんが。学校というのは無秩序に教育するからキショかっただけで内容自体はすこぶる興味深いのが勿体無い。人生で教育される適切なタイミングというものを各人が選べるようになればいいのに。脳がコンピュータの機能と比喩的に語られて久しいが、この比喩というのは実際のところどのくらい正確なものなのだろうか。コンピュータと脳が大好きなおじさんに解説本を出して欲しいね。多分買わんけど。そういう雑学はツイッターでたまに見かけるくらいでちょうどいいわね。
話を戻して眠るとは何か、という話であるが、眠るというのは必須の機能なのだろう。何十万年の淘汰圧に耐えているのだから。あるいは肉体をどれだけ最適化しても払拭不可能な生物の限界なのかもしれない。睡眠に対して淘汰圧が働くように仕向けたところで淘汰不可能な生命の限界。音速を超えて走るのが物理的に不可能なのと同じ、身体の限界。そもそも睡眠は淘汰されるべきものなのか。胡蝶の夢。現実というものがただ連続的に、ほとんど齟齬なく連続するだけの夢だと見なすこともできる。本当?2ちゃんねるで有名になったスワンプマン仮説。沼で自分が死んだ瞬間に落雷が落ちて、キャシャーンよろしく自分の肉体と意識を完璧に保った別の何かが生まれたとして、誰がその入れ替わりを認識できるのか、みたいな哲学的な思考実験。思春期の少年が『おれこういうこと偶に考えんだよね、、、スワンプマンってのがあって、、、』と語りがちなあれ。このスワンプマンをアルコ&ピースの平子はさも自発的な発想として『僕たまにこういうこと考えるんですよ、、、』と自己同一性に揺らぐ繊細かつ思慮深い男であることを演出するのだが、それはダウトである。スワンプマンはそもそも心身二元論とかの文脈で発生した譬え話なので、そもそも心身二元論に興味のないだろう平子が自力でたどり着く悩みではない。まぁ、この譬え話に似たような自己同一性をめぐるお話は無数にありふれているので、そのどれかから触発されて平子が自力で生み出したかもしれないが、その真偽はスワンプマン同様検証不可能である。なんの話?
話を戻す。このnoteの大筋がなんだったのか全く思い出せない。このnote、典型的な書くことがない時に書いている文章なのであっちこっちに話が飛んでいる。だがここで一つの疑問が生じる。綺麗に一本にまとまった文章は本当にその人の考えを表しているのだろうか。というかその人の考えって何?僕は卒論を書いている時、この世の全ての著作物がパッチワークであることを悟った。真に内発的なオリジナルの感情というのは、これだけ創作物が溢れた現代において成立し得ない。全ては他の作品からのエッセンスでできており、本物などどこにもなく、その他複数の作品から要素を抜書きして再構成し、何か少しでも作品を止揚できれば儲けもんみたいな程度のものである。文化というものが確実に漸進している以上、このことは否定のしようがない。人は誰かの作品なくしてもう何も生み出せないほど物質的に満たされた世界に生きているのである。だがしかし、僕が今書き殴っているこの出来の悪い文章、これのどこに他の作品のエッセンスが混ざっていると言えるだろうか。こんなにも出来の悪い駄文が、何かに似通っているわけがあるまい。その意味でこの文章は真の創作物たり得る。この文章こそが原初の創作であり、表現であり、芸術なのである。異論は認めない。殺すぞ。

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