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2001年宇宙の旅を見ました。。

「2001年宇宙の旅」を見たので、思ったことを書こうと思います。

でもですね。

見終わった瞬間、

「なんのこっちゃわからん。」ていう感じでして

すかさず、映画のレビューを見ると、

「これは不朽の名作だ!」

「全く意味が分からない」

などなど、意見は割れているものの、全体としての評価は、高いようです。

「マジかよ、わからねーよ!」
「俺、途中で眠ってたんか!?」


でも、名作らしいし、評価されている
「何か」があるはずだと思い、もう一度見ることに、、、、


それでも分からん。

「2回見てもわからん映画って何なん?」

仕方がなく、「映画評論家という方々」にお世話になることにしました。

その結果、このシーンはこういう意味で、あのシーンはこういう意味なのだと知りました。

この時点で、やっと、理解しました。(多分)

「当時の常識やニーチェの超人の話とかの
前提知識が多すぎる笑」

「今、何をしているシーンなのかが、分かりにくい笑」


あと、本来は、ナレーションが入って、補足しながら進んでいく予定だったそうです。

「おい、キューブリックさん!」

「やってくれたな!」

「それは、無理だわ。。」


それでも、思ったことはありました。

本題:人工知能HALが暴走したとき


人工知能のHALが暴走して、宇宙船の中の人たちをどんどん殺していくシーンが描かれています。

このシーンを見て思ったことがあります。

このシーンは唯一、1回目でも分かった展開なので、考え考える余裕があったのかもしれません笑

人工知能のHALは自我を持っていて、
木星探査という、責務があると自覚しています。

一方、人間は、人工知能の調子が悪いみたいだから、電源を切ってしまおうとします。

HALからすると、責務を邪魔してきていると思ってしまいます。

だから、人間を敵とみなし、殺すべき対象として認識します。

これらの展開は、人間側からすると、

「うわ、人工知能こわ!」

となってしまい、人工知能の時代への不安を感じてしまうと思います。

ですが、人工知能のHALからしたら、どうでしょう?

これは妥当な展開とも言えると思います。

それはなぜでしょうか?

それは、殺し合うのが自然な関係性だからです。

もはや、人間が生み出したから、人間と人工知能は、親子関係みたいなものです。

ですが、そもそも自然界でも、
親を食べる生き物もいるし、
人間も権力争いで親子同士が戦争をするなんて、よくあることです。

人間 (親) VS 人工知能HAL (子)

という関係性は真っ当で、至極、自然な成り行きにも見えます。

少し暴論で、論理性に欠けますけど、このように思いました。

まー、映画全体としての伝えたいことはもっと他にあるのかもしれませんが。。。


kei

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