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歌詞における「古さ」とはなにか

こんにちは、作曲家のペンギンスです。

J-POPの作曲家をしていると、歌詞の話は避けて通れません。作曲家にとってもっとも大事なメロディーの、良し悪しの基準とはなにか、と考えると、結局のところどう評価しようにも歌詞との兼ね合いによる部分がかなり大きいので、歌詞のことを何も考えずに作曲するということは基本的にありえないわけですね。

そういったわけで、コーライティングで日々曲をつくる私としては歌詞を人に頼んだり、はたまた自分で歌詞まで書いたり、たまには歌詞だけ頼まれたりと色々な形で歌詞に関わっているのですが、そこで一番恐ろしい問題が「歌詞が古いものになっていないか」ということです。歌詞が古いとリスナー、それも若い世代を中心に違和感、時には嫌悪感さえ与えるでしょうし、伝わるものも伝わらないということが起こります。(そもそも、採用されないからリリースされないですよね・・・)

あとポイントとしては私よりも上の世代が仮にリスナーであったとしても「古い」歌詞ってだめなんですよね。なぜなら、かつての時代の価値観を反映した歌詞は往年の名曲がたくさんあるので、そちらに任せればよいからです。今音楽をつくるからには、あらゆる要素において、古いのはNGです。もちろん新しいことを必ずやる必要はなくて、昔ながらの良さを大切にするのもいいんですが(僕もそちら派です)、「普遍的な良さを追求する」のはOKなんですが「古い」のは絶対的にNGであるというところが大事ですね。

さて、前置きが長くなりましたが、それだけ大事な歌詞で、そして古い歌詞はダメであるということを理解していても、歌詞の中身が古くなってしまうという失敗は往々にしてあります(そして、世に出ません笑)。そこで今日は「歌詞が古いってどういうことなんだろう」というのを考察して、かんたんにまとめておきたいな、と思います。

以下、独断と偏見まみれで、列挙します笑

1.リスナーと作詞者が対等でない歌詞(上から目線)

いま、古い歌詞といえば一番はこれなんじゃないでしょうか。90年代ごろまで、歌詞というのは作品で、リスナーの日常から隔絶したところにいるアーティスト(or作詞家)が「これが良い歌詞である」というものを提示する、そのような構図が当然のものでした。しかし21世紀になり、インターネットの普及やクリエイティブの大衆化により、「創造者とファン」という一方通行の関係が成り立たなくなってきました。以降、支持される歌詞というのは「これが良い歌詞である」ということよりも「これは私のことを歌ってくれている」という風に「リスナーがアーティストと一対一で向き合っている、かのように感じさせてくれる」というものに変化しています。ここを見落として「良い歌詞を書こう」とすると、それがイコール古さになります。「創造者として優れた歌詞を上から提示する」のではなく、「リスナーの立場に寄り添って一緒に肩を並べて、リスナーのための歌詞を横から提示する」ことが必要だと思います。

2.詞中で必要以上に「課金」させる歌詞(バブル感)

これは気づいたときにびっくりした法則です。近年のJ-POPの歌詞は作中でのストーリーや情景描写がどんどん抽象的になっているなあ、とは思っていたのですが、「詞中で登場人物にお金を使わせていない」という切り口で見ると、非常に面白い発見がありました。心情を描く、想像を描く、語感で訴えかける、こういった手法は今も昔も変わらないのですが、具体的な情景描写が仮にあったとしても、そこでお金を使わせていないんですよね。

たぶん、日本って相対的に貧しくなったのだと思います。価値観の多様化が進んだのだと思います。だから全員が感情移入できる情景描写がどんどん減っている。そこで歌詞は抽象的になってきたのではないかと思っています。もっといえば、仮に具体的な描写があったとしても、距離が近い。(手元、室内、学校、地元程度)。

ただ注意すべきなのは、「世界観はむしろ大きくなっている面もある」というところです。「極小の宇宙」とでもいうべき、2000年代初頭の「セカイ系」の流れを汲む世界観がそこにはあります。最近ヒット曲が多発している、YOASOBIやyama、ずっと真夜中でいいのに(ずとまよ)等のいわゆる「夜行系」と呼ばれるような世界観を持つアーティストは特にこの傾向が強いと思います。ミクロのプライヴェートな具体性+抽象的で極大の世界観という感じ。

そこで、その逆が古いということになりますね。例えば僕はずっと「カフェ問題」と呼んでいる問題があって、古いなぁと思う歌詞には、しょっちゅうカフェがでてくる笑。面白がっている程度で終わっていたのですが、よく考えるとこれもカフェという有料の飲み物を提供する場所が古さを出している・・・。ましてや「南の島のビーチ」「彼女とドライブ」「もしもあなたと家を建てたら(略)」・・・。どうでしょう、高額課金すればするほど古くなりませんか?

3.詞中の男女(等)の恋愛の価値観が古い歌詞

最後になりますが当然のこととして。ジェンダー論の勃興をまつまでもなく、男女の関係をどう描くかというのは時代を敏感に反映します。(そもそも「男女」なのかどうか、ということが問われる時代でもあります)恋愛において「妙に純愛」だったり、逆に「必要以上に不純」だったり、そもそも「恋愛というものを絶対化した内容」だったりすると、必然的に古さが出てくると思います。これは歌詞の軸になる部分にかかわる問題なので、作詞前に、いちばん最初の段階で、描こうとしている恋愛が古くないか?なにかおかしくないか?というズレの確認は、必要かもしれませんね。


いかがでしたでしょうか。作詞作曲に日々励む我々作家にとって、時代にキャッチアップできなくなることほど根本的な恐怖はありません。そしてことJ-POPに関していえば、ソングライティングはかなりエヴァーグリーンな法則がありますが、サウンド面の劇的な進化と、歌詞における時代の反映は非常にセンシティブなものがあります。日々、いま自らが生きている現在を感じながら、創作をつづけていくことが大切だと思います。

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