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自分に才能があるかなんて分からないけど生きていくしかないから

才能ってなんだ?

才能、ってなんだろう。と時々考える。
Googleで検索してみると、「物事を巧みになしうる生まれつきの能力。才知の働き。」とデジタル大辞泉に書いてあった。才知を再度調べると、「才能と知恵」と書いてあった。
才能は才知、で、才知は才能。辞書はときどき説明を放棄していることがあるように思う。

ところで、わたしは現在、絶賛試験勉強中だ。
中学受験のために小学校4年生ころ塾に通い始めてから今まで、それなりの数の試験を受けてきたと思うし、その時々で勉強してきた。
ただ、いま現在フルタイムで勤務しつつ1歳児を抱えているわたしにとって、夫がかなり協力的といっても、なかなか勉強時間をまとまってとるのはそれなりに大変だ。もし不合格だった場合、来年受けることになるが、さすがにそれは……わたしも恥ずかしいし、夫にも子供にも申し訳ない。
その夫、彼はとても勉強が出来る。きっと彼も同じように多く試験を受けてきたと思うけど、彼はわたしが知る限り人生で試験に落ちたことがない。
そんなこともあってわたしは勉強に関して夫をとてつもなく尊敬しているので、「仕事が終わって眠たくて、でもここで一回寝てしまうと朝まで寝てしまうな……」と思ったとき、夫にこういうときどうして過ごしているのかたずねてみた。
すると夫はこう言った。

「ほんとうにやらないといけないことならば、眠たいなんて言っていられない。そんな風に思うってことはそこまで切羽詰まってないんじゃない?」

目からうろこというか、開いた口がふさがらないというか……。
もちろんほんとうに切羽詰まったとき、わたしは不真面目だからそれこそ試験前日のようなとき、は睡眠を削って勉強をすることもあった。ただ、今回は試験までまだ時間的猶予はある程度あるときで、夫も試験時期を知っていた。それでも、夫の解答はそうなのだ。なんなら、以前資格試験前日にわたしがなんだか焦ってしまって夜試験勉強をしていると、「前日にできること限りあるよ、今日はもう早く寝て明日に備えた方が良い」と言われたので、夫は試験勉強を前日に控えて徹夜などしたことがないのかもしれない。

その時、わたしは、夫には勉強の才能があり、そして才能とは、「そのことを苦なく続けられること」だと実感した。
わたしも、勉強は、きらいではない、し、どちらかといえばすきなほうだ。それは、自分の努力の成果が点数という形で返ってくるのが分かりやすいからだと思う。結果が目に見えるというのは、勉強だけに限らず例えばダイエットだって、やりがいがある。
でも、苦しいし、辛い。
勉強はどんな興味のある分野でもたのしいだけではない。すきだけど、苦痛だ。だから本音を言えば出来れば勉強はしたくない、試験だって受けたくない。

でも、夫はちがう。
研究がしたくてサラリーマンをやめて、「やることがあるから、明日、朝早く出るね」と言えば、夜中2時頃に家を出発するようなひとだ。その日も夜に帰ってきて普通に起きてるもんだから眠らなくて大丈夫なのかと聞いたら、「眠たくなったら立ってできる作業をしているから大丈夫」と答えるようなひとだ。
夫は、勉強がすきで、そして、勉強を続けることが苦ではない=才能がある。夫もきっと勉強を辛いと思うときはあるだろう。才能だけでは賢くなれない。皆が途方もない努力を重ねる中で結果をのこすためには、いくら才能に溢れていたって努力は必要だ。だからきっと辛いときもあるだろう。
でも、きっと。わたしは思う。夫の辛いとわたしの辛いはちょっとちがう。


おすすめ漫画の話『A子さんの恋人』

わたしはとても漫画を読むが、わたしがさいきんおすすめ漫画を聞かれた時に必ず答えるようにしているのが、近藤聡乃さんの『A子さんの恋人』だ。
全7巻と短め、すでに完結している、男女問わず読める、絵もさっぱりしていてとっつきやすい、と紹介しやすいと個人的に思うポイントを抑えている。
留学先のNYから帰国したA子を中心にアラサー男女の日常を描いた群像劇だ。A子には、日本に置き去りにした日本人のA太郎、NYに置き去りにしたアメリカ人のA君という2人の恋人がいる。ほんとうは、どちらとも別れるつもりが、A子は別れきれなかった。そんな優柔不断なA子は、英子とかいて“えいこ”と読むのだが、英子は“ひでこ”とも読めるし、栄子、映子、瑛子もぜんぶ“えいこ”だ。こんなよく分からない悩み(気付き?)に、A子は「私が『英子』だということなんて他人にとってはたいした問題じゃないのだ」と結論づける。そんなことから物語は始まる。友人U子、K子やA太郎、A君など周りの人を含めた物語だ。


これはまさに「大人版ハチクロ」!

読み終えたとき、大人版ハチクロだな、と思った。
わたしが学生の時、『ハチミツとクローバー』(羽海野チカ)という漫画が流行った。これは美術大学を舞台にした青春群像劇で、彼らは恋愛しながら迷いながら、お互いの才能に打ちのめされたり感化されたりしながら、すすんでいく。そして主人公が大学を卒業して終わる。
『A子さんの恋人』もA子や友人などは美大出身だから、同じような群像劇だからそう思うのかと思う。

「大人版ハチクロ」の理由


ただ、『A子さんの恋人』と『ハチミツとクローバー』には、圧倒的な違いがある。
『A子さんの恋人』の登場人物は学生ではない。そこがきっとわたしが“大人版”ハチクロと思う最大の理由だ。

学生とそうでないか、何が違うかといえば、わたしの勉強にしても、学生の時は、たとえば勉強だけしていれば良かった。恋人ができたりしたりもしたけれど、「○○だけ、していればいい」なんてことはあの時だけで、いかに贅沢な時間を過ごしていたのだろうと、いまほんとうに実感する。ほんとうにもっと真面目に勉強に取り組んでいれば良かった。
ハチクロの登場人物たちももちろん彼らなりに悩んでいるし、おそらくその他の大学生とは別にとくに才能が勝敗をにぎるような場所にいるだろう。
でも彼らは学生で、いってしまえば自分のことだけを考えていれば良かった。物語の終盤、主人公は自分探しの旅に出る。自転車で舞台である東京から北に向かい帰ってくる。そんな風にとうとつに、しかも自転車で出発する自分探しなんて学生でできることの最たるものだ、と思う。
A子さんの恋人の登場人物たちもかなり自由に振る舞う。でも彼らは、学生からおとなになっていて、だから、急に自転車に乗って出かけられないし、仕事もしないといけない。
それでもA子さんたちはA子さんたちのやり方で自分探しをするのだけれど、では、なぜわたしたちは、他人の才能をうらやんで、大人になって時間がないのに、自分探しなんてしたくなるのだろう。

それは、みんなが「自分はとくべつな存在じゃない」という葛藤を大なり小なり抱えているからじゃないだろうかと思う。

「だって私なんてとくべつじゃないし……」から抜け出したい

プリンセスにも戦う少女にも(セーラームーンは、プリンセスの上に戦う少女で、それを観て育ったわたしたち世代以降、とくべつな「自分はとくべつな存在じゃない沼」にはまっているとしか思えない。だってうさぎちゃんはどっちも持っているのに、わたしたちはどっちももっていない、猫と会話もできないし、前世の記憶もない)、ウルトラマンにもなんちゃらライダーにもなれないし、正義の味方にはなれないし、大きな敵も出てこないし、魔法だって使えないし、なんなら世界なんて大きな範囲でなくもっと小さな半径の話だって、毎日できないことを数えたらきりがない。
だから才能に憧れる。自分は、ひととは、なにかちがうと思いたいから。

『A子さんの恋人』の中でA子さんは才能がある人という描かれ方をする。でも、じゃぁ別にA子さんが悩みなく生きているかといえばもちろんそんなことはないし、A子さんが完璧なひとかといえばそんなことはない。し、それ以外のひとたちがかわいそうか、と聞かれるとそんなわけはない。
『A子さんの恋人』で、U子は言う。
「学生の頃 みんな海のほうばっかり見てたけど それだけじゃないって 今の私たちはもう知ってるでしょう? 私は全然かわいそうじゃない。うまく泳げなくたってわたしはかわいそうだったことなんかない」

あぁだから群像劇が好きなのだ、とおもう。主人公がたくさんいる。セーラームーンにならなくたって主人公でいていいのだ、とおもう。セーラームーン一任の世界じゃなくて生きていていい。
才能があったってなくたって、そもそもわたしに才能があるかないかは分からないけれど、生きていくしかなくて、そして、わたしの人生はわたしのものだから、だれかのサブキャラに甘んじる必要はない。
自分の名前をわざわざA子なんて曖昧な表記にする必要はなくて、わたしは英子だと、漢字で英語の英で英子と書くのだと、えいこと読むのだと、主張して生きていっていいと思うのだ。

まぁしゃ~ない、がんばろ。

わたしが今度受ける試験は6月にある。
それが終われば、7月に大学院の入試があって、きっと10月から大学院生になるはずだ。出身大学よりよほど偏差値のいい大学院に行くので緊張する。きっと頭の回転のとてつもない、それこそ夫のようになにひとつ勉強をいとわない才能に溢れているひとがいるのだろう。
緊張する。
でも、実は、そもそも、6月の試験さえ数年前は受けなくても良いかなと思っていたのだ。それが、6月のものは当たり前に受けて、その上大学院に行くことになるだなんて。思いがけずとおくまで来てしまった。
夫と結婚していなかったらこうはなっていない。尊敬する上司と出会っていなければこんなことにはなっていない。わたしの人生だけど、わたしだけで生きているわけではないから、いろんな人の力に、波に、のっていたら、出るつもりもなかった海に出てしまった。
うまく泳げるかは分からないけれど、とりあえず出てしまった海はしかたがないから楽しんでしまおう。うまく泳げなくたって、不格好だっていいや、と思う。

わたしは、わたしを、わたしだけの人生を、たのしむ。
わたしの、わたしによる、わたしのための、まいにち。

(とりあえず、6月の試験は受かる。勉強がんばるぞ)


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