贖罪

言葉が出てこなかった。どういった言葉を出すことが適切なのか、何が間違っていて、何が正しいことなのか、胸が苦しく、吐き出すことも憚られた。

9月27日、チャマこと直井由文の報道に関するポンツカを聴いた。
メンバー3人による謝罪と今後のBUMP OF CHICKENに関する活動のすべてについて、メンバーのその悲痛な思いが詰まっていた。私は、それを聴いたとき、たった12分ばかりに込められた、想像を絶するその苦しい叫びに、しばらく茫然と立ち尽くすばかりだった…気が付くと私は、泣いていた。
いくら考えてみても、一体どのように言葉に出せばいいのか、どのようにしたら気持ちが晴れるのか、考えてみても結論は出ない。胸が苦しく張り裂けんばかりのそのメンバーの思いに、手が震え、心臓は速く、時間だけが進んでいくばかりだった。起こってしまったことは巻き戻せない。なかった未来の先にも進めない、止まることもできず、なかったことにもできない。そんな事態が起こってしまった。直井由文に関する不倫の報道である。

 その一週間前の9月18日、私はいつも通り仕事を終え、帰宅する準備をしていた。そこに友人から画像付きでLINEが来た。文春による直井由文に関する報道であった。そこには目を疑うような内容が記載されていた。一体、何が起こったのだろうか、どういう状況なのか、チャマに不倫報道…?頭の中を数々の疑問が、一瞬で駆け巡った。頭を殴られたような気分だった。理解が出来なかった。昔から大好きで一途に応援してきたバンドに一体何が起こったのか…。初めはあまりの突拍子もない事態に簡単に信じることは出来ず、正直なところ、あまり動揺はなかったように思う。ただ、内容について、詳しく読んでいくうちに事態は深刻に、現実味を帯びてきた。私がずっとファンとして、「BUMP OF CHICKEN」として見て来た「チャマ」とは想像もできないような出来事だったからだ。まず彼には、妻子がいた。結婚をしていることについては、友人から噂には聞いており、知ってはいた。ただ、いてもおかしくはないとは思っていたが、子どもがいたことまでは知らなかった。そこに関しては、メンバーも年齢も年齢ということもあり、特段、驚きはしなかった。離婚しているのではないかという噂まで既に聞いていたからだ。それでもメンバーのプライベートのことについては、ファンとして今までそっと見守ってきた。当たり前だが、メンバーがそれぞれに決断したことに、ファンが介入する余地もなければ、意見を言う権利もないからだ。

 バンプというとそのプライベートのほとんどは謎に包まれており、私生活のことについてはその一切が表には出てきていなかった。彼らは、昔からテレビに出演することを嫌っており、メディアからはほぼ一線を画していたからだ。唯一メンバーのことについて垣間見れる「ポンツカ」や近年ではチャマのTwitter、instagramなど、リスナーにとっては、私生活が少しばかり知れる機会が増えたように思う。そこから見て取れる彼らは、いつまでも「4人」仲良く、いくつになっても少年のような心を忘れず、楽しそうにしていた。そんな彼らのことを見ているのが大好きだった。そういった少ない情報下では、そのようなイメージを作り上げる他なかったからである。バンプサイドもそのように売ってきたところが少なからずあったように思う。彼らの私生活を知る由などリスナーにはないのである。知る由もないのだから。

 この件については、私自身、非常に気持ちの面でもやもやとした陰鬱と立ち込めた気持ちが晴れることはなく、ただ日を追うごとに苦しくなり、黒く立ち込める怒りが増していくばかりだった。気分は酷く落ち込み、寝た気がしなくなっていた。それから数日経っても、気持ちは暗く、どんよりとした重苦しさばかりが募っていった。「あの日」から私の時間は止まったままだった。同じような気持ちを分かち合える友人たちとたくさん話し、自分の中のもやもやについて、たくさん語り合った。だが、いくら話そうとも、いくら語ろうとも気持ちが晴れることはついになかった。ふいをついて考えるのは、「どうして」、「なぜ」…。あれほどまでに藤原基央の曲の近くで生き、寄り添い、人生のほぼすべての時間をかけ、苦楽を共にし、音楽を通して繋がり、一緒に過ごしてきたメンバーさえも裏切ったのか…。そういった思いに駆られ、私を強く支配し、激しい怒りと憎悪の感情に飲み込まれた。

 不倫は決して人間として許される行為ではない。人の心をも一瞬で、いとも簡単に壊してしまう。人生においてその信用性、積み上げてきたもののすべてを一瞬で崩壊させる力を持っている。とても恐ろしいものだ。一度の過ちでさえも関係を修復することはおろか、一度起こしてしまったら、もうなかった頃には戻ることはできないのだ。そして、今まで信用し、支えてきてくれた人たちを一瞬で地に落とす恐ろしいものである。私自身としても不倫は決して許されるものではないというその思いは強くあり、彼に対して、信じられないという思いと、今まで大切に思ってきた気持ちを裏切られたという思いに支配された。もうどうすることもできず、止めることはできなかった。私の中で、「何か」が崩れていく音がした…。それほどまでに私にとって彼らの曲は、心の奥底に存在していたのだった。
 そして、あれからしばらく経った今も、心の奥底に存在しているそのどろどろとして気持ちの悪い黒い感情は晴れることはなかった。人生の半分をバンプに費やし、彼らが全てであったといっても過言ではない私にとって、彼のその行いは簡単に許せるようなものではなかった。大前提としてではあるが、不倫という行為自体に関する問題は、家族間の問題ではあり、それに対して、ファンが口を挟む余地はない。それは事実であるし、ただのファンとして、1リスナーとして「許す」とか「許さない」とかの次元の問題ではない。だが、長いこと自分が信じて来た人間が「大切な人を簡単に傷つけられるような人間」であったこと、その事実について、裏切りを感じ、強い失望感を感じたのだ。私にとって、不倫は「人を傷つける行為」そのものであり、その一つの事実がどうしても受け入れることはできなかった。1リスナーでもこのように感じ、強い憤りと失望感に苛まれ、苦しんだ。それほどのことだった。ある人にとっては「こんなこと」なのかもしれないが、それを間近で見て来た人、実際にされた人、それによってすべてが崩れていくのを目の当たりにした人たちにとって「こんなこと」では済まされないのだ。
 バンプの曲は孤独感、絶望感、心の内側のあまり人に見せられないような弱い部分に寄り添ってくれる曲だ。そういった曲だっただけに、彼のその不倫という行為は、曲に対してもその「信用」を裏切るにはとても簡単だった。もちろん作詞・作曲をしているのは藤原基央であり、彼にはその一切の責任はない。だが、「BUMP OF CHICKEN」の曲として世に出している以上、そこには必ずその看板に対する責任が伴ってしまう。音楽だけではなく、そのすべての行動に対して、「BUMP OF CHICKEN」であるという責任と看板が付きまとうのだ。これはバンプに限った話ではないが、社会人として働いている以上、ただ生きているだけで、その役職についているだけで、責任が発生する。それは、何も問題が起きていないときには何ら問題はないが、ひとたび問題が起こった際には、その看板はときに凶器となり、盾にもなるのだ。責任とは、何らかの「罪」を背負うことのように思う。

 私は彼を擁護することは決してできない。そこには、彼の行いによって、傷ついた人間が存在しているからだ。擁護するということはすなわち、その人たちに容易に見えない刃物を突き付けているようなものだからだ。彼の行いによって苦しみ抜いたメンバー3人についても同じことが言えるだろう。彼らは、彼の行いに対する「責任」を一緒に背負ったのだ。藤原が語ったあの苦しみの言葉ひとつひとつ、発する言葉、息遣い、目に浮かぶようなその自らに背負った責任…彼らが背負ってきたその物語に対するあまりに重すぎる十字架…言葉が出てこなかった。頭を、胸をガツンと殴られたような衝撃と痛みだった…。藤原基央はそんな状況の中でも「リスナー」の気持ちに寄り添い、自らが思っていた以上に自らの曲を大切にしてくれているということに気付いたと語ってくれた。なんという人間だと思った。リスナーよりもきっとずっと深く関わってきた3人の方がもっとずっと苦しいことだろう。にもかかわらず、この状況の中でも彼の中には私が思っていたよりも深く「リスナー」を思ってくれていた彼がいたのだった。

 今まで長い時間、彼らの音楽と共に生きてきたからだろうか、バンプを嫌いになることは私には簡単にはできなかった。そのチャマによる事実が発覚したことで、どうしようもなく暗く、言葉にもできないほどの思い、そしてもう、何も知らなかった日には戻ることはできないことに対する深い絶望を感じた。彼が活動を休止し、当面の間は、メンバー3人で活動していくことが発表されたのだった。簡単に待っているなどと口にできるわけもなく、復帰したとしても私自身どういった気持ちになるのか想像もできないところにいるのだ。ポンツカを聴いて、メンバーの思いを、声を通じてきちんと聞けたこと、そこには自分の言葉で伝えようとする藤原基央の姿があった。苦しみ抜き、バンプとしての一切の活動をやめるべきなのではないかというところまでいったこと、このままにしていたら、彼は歌うこともままならないこと、痛ましいまでの思いが伝わってきた。聞いていられなかった。胸が痛み、胸が詰まり、言葉さえも出てこなかった。彼らが感じた苦しみを同じように感じえることはできない。彼らは昔、仲が良いと言われることを嫌っていた。そこには家族のような、切っても切れない数々の思いや苦しみも内包していたからこそだと思った。そのように生きてきて、活動をしてきた彼らにとって、裏切り以外の何があっただろうか。決して簡単に裏切りとも言葉にできないような思いを、たった一人の抑えられない衝動によって、ここまで大切な人たちを結果として裏切ることになること、長い間一緒にいたからこそ当たり前となってしまっていた関係性、結んでもきっと今まで幾度となく解けかけ、その度に結び直してきたであろう関係性、計り知れないほど隠された楽しいだけではない思いを感じ、もう言葉を噤むほかなかった。言葉すら出てこなかった。そんな空気が漂っていた。そこには彼らにとって、どういった言葉を出すことが適切なのか、何が間違っていて、何が正しいことなのか、胸が苦しく、吐き出すことも憚られた。簡単に割り切れるようなことでないほどに私の中の奥深くにバンプは存在していたのだった。このとりとめもない、流れていくこともない淀みの中に、どうしようもない解決策もない暗雲が立ち込めた思いを、どうしていいのかもう分からない。きっとファンの人は彼らにそれぞれの寄り添い方をしてきてもらったことだろう。きっとそれぞれに感じることがあり、思うこともあり、決して同じ思いはないと思う。そこには、その人なりの彼らとの思い出や付き合い方があって、簡単に切り離せるようなものではないからだ。これから先、どんな思いに駆られ、彼らがどうなっていくのか、どんな形となってその関係性を結び直していくのか、私には想像もできない。それでも、私は彼ら3人が「今」踏み出そうとしている一歩を、明日を心から応援したいと思った。そこに嘘偽りは一切ない。やっぱり彼らの作る曲に生かされていたのだと思い知った。彼らの生きる明日に、どうか私も生きていけますように。
 

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