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子育て・移住・仕事・これからのこと

2020年8月、東京から静岡県沼津市に移住した。
2ヶ月が経ち少し落ち着いたところで、自分の状況や考えていることの整理のためにnoteを書こうと思う。なのでこれはただの現状分析的な感情の吐露であるし前の記事と違うことを言い出すかもしれない。たぶんころころ変わる。むしろそうやって考えを整理し取捨選択するために書きたいと思っている。

私は千葉で生まれ大学入学のため上京、その後東京で就職というステレオタイプなおのぼりさんである。ただ東京に暮らしながらもいつか違うところに住みたいとずっと薄ぼんやり思っていた。憧れと尊敬を抱いた設計事務所に勤め勉強させてもらいながら独立を計画し、大きな担当現場の竣工に合わせて退職した。

退職後は個人事業主として1人事務所を開業した。設計事務所のOBの仕事を手伝わせてもらったり、小さな改修計画を請負ったり、越後妻有の大地の芸術祭に出展したり、東大で都市開発•まちづくりの研究員をやったり。どれも大変だったが仲間や関係者に恵まれ楽しかった。

そして設計事務所退職と時を同じくして結婚もした。まあこれはタイミングというやつなのだろう。2019年に子どもが生まれそれから育休生活が始まった。とはいえ育休という言葉が便利なので使っているが、個人事業主なのでどこからも何ももらえない無職になるだけである。
息子の育児について書こうとすると(過酷さで)100記事くらい必要になるのでまたの機会にするが、この名ばかりの"育休"生活は今までの生活とは脳みそごと変わってしまうようなものだった。今までの仕事バリバリの脳みそのシワがどんどん溶けていくような感覚。子どもとだけ話す日が続くと大人と話す言葉が出てこなくなる。慣用句的なものが特に出てこないんだよな。こんなんで専門用語を思い出せるだろうか。建具の納まり図をちゃんとかけるだろうか。
走り続けている友人や知人の活躍を見聞きしては尊敬と応援と少しの羨ましさを抱いた。その実績や地位にではなく(それは当然当人の努力によるものなので)、きっと活き活きキラキラしているであろうその脳細胞に。

出産が近づいた頃からは仕事も断らざるを得なかった。子育ての大変さもさることながら胆嚢摘出の手術も重なり仕事復帰時期を延期したせいで、せっかく話をいただいた仕事も手放した。そしてコロナでまた遠のく。
そんな中の移住である。生活の豊かさのための選択であり今のところそれも実感しているが仕事の目線でみると無謀も良いところである。ゼロ。リセット。
でももうなんにも無くなったら怖いものはない。今までとは違ったこともやってみようと考えるようになった。まちづくりへの参加、親子支援、古材利用活動、自然物を使ったアート創作。やってみたいことだけはどんどん増えている。そして20代は「私が何を作れるか」と肩肘張っていたが、近頃は既存の誰かの活動に参加するという選択肢を考えられるようになった。組織から出て個人になったからこそ自由に何かに属すことができる。いくつでも。その中で自分に合っているものはなにか、どんなやり方があるか。このnoteを書きながら検討していこうと思う。

まだ沼津に来て2ヶ月。近所の散歩でも迷っている。
何がどこまで実現できるのか予想もついていないけど、石橋どころか土でも泥でも叩かずにワンチャンいけるんじゃない?と走りだすのが自分の特徴と思っているのでとりあえず徐々にアキレス腱を伸ばしていこう。



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