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夏の水滴、春の建設

学校は夏休みにはいった。

ぶ厚めの卵焼きを作りたくなるほどの青い陽射しで自己の象徴である愉快な丸刈り頭をこんがり焼いて歩いているのは喜太郎という少年。少年は朝の散歩に励む老人の如き勢いのよさで白い腕を振りいつもの公園に向かっている。

巨大な炎星、放散光線、街の夢を食べちゃう白雲、庭の木陰に腹を冷やすレトリィバァ、自分の眼球をあらゆる画面にアロンアルフアで強く敏速に貼り付けてゆく住人たち……、

住宅街のすき間、風に揺れる意志みたいなものを偶然持って生まれたセグウェイのようにすり抜けるがこれ喜太郎。シワひとつない額にさらさら汗が光りいのちの輝き細胞から湧き出る滴が時折少年の長いまつ毛に触れる。

「集合時間は午後一時。なぜって、みんなが家で昼ごはんを食べ終わってなんやらかんやら準備して、ちょうどいい時間だからだよ。それが午後一時、うん、午後一時。いつもの決まり」

喜太郎はいつも一番に着く。他のだれよりも先に。なぜって、途中から輪に入るのが苦手だったから。それだけ。みんなが楽しそうに話しているのにそれをさえぎって申し訳ない……、いや、違う。

喜太郎は、自分の顔を見られるのがこわかった。
みんなが自分の顔に眼を向ける、その瞬間、身体の内側がさっとなにかの死のように冷たくなる。きこえるのは宇宙の底、真っ暗に落っこちている無音。無音という音。みんなは一体どんな顔をするのか、きっとだれも悪に該当しないこの正直な反応を自分の眼に映すほどの勇気を喜太郎は最初から持っていなかった。

さて、喜太郎は今日も一番に着く。みんなを待つ時間、どこかの湖では風が光を照らし鱗なき魚が空に跳ねる。知らぬ間にどこかの青年の記憶の湖を泳いでいる少年にはその時間が長いとも短いとも言えぬ不思議な時の流れに感じられる。
水源、潤った二つの眼が青に満ちた空に同化する。星が夜を流れるように、顔に滴が静かに流れる。


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