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承認欲求の正体ならびに人生の目的

どうして僕たちはSNSにとらわれるのか。
どうして僕たちは「発信」にとらわれるのか。

さて突然で申し訳ないけれど
ー世の中のあらゆるものは突然にやってくるものだからいちいち謝らなくてもいいのだけれどー

人類の生きる根本的な目的といえば何だろうか?

今日は16日だから、1+6=7
出席番号7の岡田!

クラスいちクールな岡田君は表情そのまま答えた。
「はい、子孫繁栄です」
教室は秋風に吹かれたようにざわついた。

では、子孫繁栄とは何だろう?

簡単に言えば、子どもをつくることである。

では、子どもをつくることの目的は何だろう?

そう、自分の遺伝子の複製をつくることである。

つまり、自己のコピー・複製をつくることが根源的な目的であるといえる。

この「複製」がキーワードである。
世界はこれで説明できるのである。ゆーあーる。
どん兵衛。

さて話があっちこっち行って申し訳ないのだけれど
ー世の中のあらゆるものはあっちこっち行く本性なのだからいちいち謝らなくてもいいのだけれどー

どうして僕たちは〈安定〉を求めるのだろう?

岡田君。

岡田君は湖のように深い瞳を輝かせ答えた。
「はい。僕たちは意識無意識関係なくとにかく毎日を必死に生きています。日々僕たちをとりまく環境は目まぐるしく変化しており自己の生存を求め続ける者同士の競争に終わりはないのです。かなしいかな僕たちはそんなやっかい奇天烈な世界に生きています。もちろんひと昔前と比べれば殺し合いなどの数は減りましたがそんな世界で生き残るために必要とされたもの、それが〈安定〉だったのでしょう。これは本能です。いえ宿命です。〈安定〉によって自分あるいは自分の子ども、つまりは自己の複製を守ることができる確率はぐんと高まるのです」

教室の片隅に座る柿太郎は心の中で小さな拍手をした。


「結婚したい、子どもをつくりたい。だから安定した生活を送りたい」

これは簡単に言えば

「自分の複製をつくり、守りたい」となる。

だから親が〈安定〉から外れそうになっている自分の子どもを心配することは当然なのだ。大切な自己の複製がリスクに晒されるかもしれないのだから。

日々無意識のうちに生まれている感情。
それは生き残るための防衛反応である。
それは自分の存在を守るため。
それは自分の存在をこの世界に残すため。
自分の存在とは、自分あるいは自分の複製。

そして、現代。ついにあいつが登場した。
あいつってナンだ?
今日は16日、1+6=7、7+7=14、
14番の工藤!

突然の指名に慌てふためきつつ工藤君は前髪をかき上げ答えた。
「イ……、インターネット?」

先生は正午の陽射しに当たる柴犬のように満足そうな表情を浮かべた。

インターネットの世界、SNSの世界……
人々は結局そこで何をしているのだろう?
そう自らを発信をしている。
そうネットの世界にそしてまわりの人々の頭の中に自らの存在を残そうとしている。

そう、自己の複製である。

「承認欲求にとらわれすぎやろ〜」
これはつまり
「自己複製にとらわれすぎやろ〜」となる。
だから、承認欲求をバカにしたり批判することは、自己の複製をバカにしたり批判することになってしまうのかもしれない。

食欲?いいえ、複製欲です
睡眠欲?いいえ、複製欲です
性欲?いいえ、複製欲です
承認欲求?いいえ、複製欲です

この時代、寿命なんてものはそこまで価値をもっていないのかもしれない。
長生きをして家族をもって安定的に暮らし、自分の存在を残していく道。
けれど、もしかしたら長生きは考えず
ただ自分という存在をひけらかして人々の頭の中に自己を残していくそんな道もあるのかもしれない。

バカッターは、自分とまったく無関係な人々の会話世界に登場している。これはある意味、生存競争において大勝利をおさめているのかもしれない。
その時あらゆる人々の頭の中に自己の複製を行っているのだから。けれどもそれは一瞬の出来事で、ある場合には社会的制裁を受け、ある場合には間違った自己の複製につながっているのかもしれない。


最近独身の人が増えてきている。

なぜか?

結婚して子どもをつくり遺伝子の複製を残す必要がなくなってきたからだ。

なぜか?

自己表現する場が増えてきたからだ。
自分が誰かの頭の中に残った、複製されたと無意識に実感しているのだろう。

つまり、子どもを残すという方法に頼る自己の複製の時代は終わりに近づいているのかもしれない。
(有性生殖、減数分裂により、子が受け継ぐのは自分の遺伝子の2分の1である。だから完全なる自己複製ではない。これは地球環境で生き残っていく術であった。しかしインターネットの登場発展はこれを変える凄まじい出来事なのかもしれない)
なぜならインターネットの世界に
つまり世界中誰でもアクセス可能な世界に
①簡単に②正確に③永く(④都合よく)
自分を複製することができるからである。
だから人々は自分の存在をどこかに誰かに発信して満たされるのだ。
子どもの体に自己を残すこと
インターネットに自己を残すこと
現代人は後者のあまりのコスパの良さにとらわれているのかもしれない。

人々はネット空間に自撮り写真をアップするとき、加工修正する。きれいにかわいく自分の思い通りに作りあげる。

なぜか?

それはできるだけ"よい"自己を人々の頭の中に複製するためである。
理想の自己のコピーを世界に残すことを求めているのである。これは偽善建前マナー見栄といったものにも通じているかもしれない。
かっこいいかわいい完璧な自分を世界に残そうと、複製しようとしているのだ。
近々、人間の遺伝子操作なんてものは必然的に行われる。現代人が当然のように写真(自己の複製)を加工修正するように。


人と喋っていても楽しくない人。

それは君が君本来の姿をみせていないからだろう。つまりほんとうの君を相手の頭の中に、この世界に複製できていないのだ。だから君は満たされない。

共感できる人、共感できるコミュニティがほしい人。

それは君が自分自身を複製できる誰かあるいは集団を求めているのだ。

自分の人生にどこか違和感を覚えている人。

それは君が自分の人生において純粋な自己複製を行うことができていないのだ。

子を残すこと、絵を残すこと
歌を残すこと、言葉を残すこと
作品を残すこと

これらはすべて自分の複製である。
僕たちは自らの複製を残そうともがいてもがいてもがき続けているのだ。
突き詰めればこの世界で人々が行うあらゆることは自分という存在を、自分という魂を、他者の頭の中に、体の中に、そしてこの世界に、はっきり残してやろう!ということになるのだろう。


よって人生の目的は、 自己の複製である。




さて、僕はここに僕自身の複製を投稿した。
よって今は満たされている。


謝辞
リチャード・ドーキンス先生著『利己的な遺伝子』に強くインスパイアされた。感謝申し上げる。


と、本の終わりに書いてあるやつっぽく書いてみた。




少し疲れた。ペンギンとでも泳ごう。

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