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雷の液体、青の振動

嘘をつくことのできない六月下旬の湖沿いには夏を模した大輪金糸梅の残像が咲いている。青年はふとこんな爽やかな梅雨の晴れ間には自分の真の表情を晒してやりたいと思いつき、にーっと歯茎を大きく見せた、そしてそれをすぐにやめこっそり笑った。彼はすべての人間が生来、心の深淵に持っているはずの光源のような液体が自分の暗部にも湧き出てくるのを感じ、そのまま夏草のうえに倒れこむように寝ころがった。「ああ……」、そのときなぜかまぶしいはずの太陽が柴犬の尻のようにみえた。

源平小菊をベテラン探偵のようにのぞく幼児の頭上から大きな麦藁帽子をかぶった母親が「あれはね、近江大橋というんだよぉ」とやさしく語りかけた。澄明な空に永遠と季節を彷徨していたはぐれ雲が「ペラペラヨメナだよ~」と囁き軽快な風となる。

テレビの気象予報士が揃って明日から雨が続きますと謳った夜、飛行船のように太っていた友人の強烈な鼾は満月の燦然たる破壊光線を思わせた。翌朝、桃色の捩花のそばでいつものように体操をしていた青年は、強い白の光を寡黙に受け容れ湖の西に毅然と伸びる緑這う山の眺めに、なぜだか春の桜を思い出した。

梅雨の青空、刈られた雑草、積乱雲のフェスティバル、長い列をなす昼寝不能な仮装した若者たちは、大切なことを心の奥に記すための時間をまるで驟雨のように通過する、たのしげに。

小学校のチャイムの音が街に響き、湖岸にほんのちょっと風が吹く。どこか不気味な眼をもつ庭石菖の群生地、白と黄の紋白蝶が清風に揺らいで交わる。街の方角から二匹の鴉が姿を現し、子の鳶が哀しげな声を発する。背黒鶺鴒がとことこ歩く波打ち際、小さな弁当箱を手に持ち透明な陽射しにほっと一息ついたのは、恰幅のよいビジネスマン。

青年は先ほどから対岸の宗教施設を見つめている。彼はいつのまにか自分の本性である無意識の眼差しが淡青色の空に何度も目配せしているのに気づいていた。いつからだろう、僕が口ごもるようになったのは。漠と中心を喪失したような気分になった青年はいまだ自分の言葉にうまく馴染めない他者と自己を発見し、諦めたように微笑む。

帰り道、青年はまるで人間の森に迷いこんだ猿のように広場の時計台に登っているひとりの少年を見かけた。ベンチに座っていた老人が「あれは時間をかけて、時間を遅らせようとしているらしいですな~」と教えてくれた。青鷺のような眼をした老人は青年が何も訊いていないのにつづけた。
「幸運のヒント、それは折れた先、街の影、白詰草の音、を聴く、だす、です」


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