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晴れ鴉、こ転

「雲を見ていると私はいつでも哀しくなりますな。すぐに形を変えてしまいますから。なんなんでしょう、せっかくせわしない人々から目をそむけたのになにを信用していいかわからんくなるじゃないですか。それとは対照的に空はいつまでも見ていられます。いつまでも形を変えないですから」

「たしかにこの街の人々は常に急いでいる。明確なある点に向かっているのか、単に回転しているだけなのか。わたしは後者に100BTCですわな。生きるために急いでいる、そんな不可思議な事態はわたしを困惑させ腹立たせるのですが、わたしは雲のほうに憧れますわな。雲はいくら形は変えようが、パッと想像できる。うむ、イデア的に。空はそんなことができない、空は広すぎるからです。うむ、かなり広い」

「いやいや、雲だって無限の形がある。それはある意味広すぎるということですわな」

「空だって色を変えますな。それは形を変えているのと同じですわな」

山麓から街へ下りるバスの車内には星を壊すような重たいエンジン音が響いています。ぼくはあらゆる病の帰結をこの星の回転のせわしなさ、生命の鼓動のせわしなさにみることにしました。スマホに目を落とすと最近チャットGPTにはまった友が文章を投稿しています。

杖をついた爺さんがバスに乗ってきました。乗車口でカードをタッチするという簡単な行為が脚の不自由な爺さんの鼓動を奪っています。不規則な沈黙が車内に満ち夏影のような風がぼくの肌に触れます。

杖の爺さんを見て、おっと右手を挙げる少年がいました。少年の横顔はどこにも急ぐ気のない、というよりどこに急いだらいいのかわからない、少しの不安と少しの可笑しみが混ざったようなものでした。その表情は人を吸い込んではまた吐き出す、という無限の運動を繰り返すこの星にはあまりにも不相応でした。
ところで爺さんは杖をじっと握ることに夢中で少年の右手と澄んだ瞳には気がつきませんでした。

少年は非存在の右手を膝の上に乗せます。ですが、いまだ二つの眼は老体から離れていません。
狂ったように時刻表通りに走るバスの窓の外には、夏の産声に若葉が舞っています。沈黙の恐怖から街へ吸い込まれる人々の笑い声がみえます。渇いた瞳と作為的な足音がきこえてきます。

窓に映った大きな陽の塊にはまだみぬ季節の気配がありました。少年の瞳には太陽の滴が光り、彼は蟻のように小さな声でつぶやきました。

「大変やのう」

バスを降りようとまた時間をかけて車内に底なしの沈黙を生み出した爺さんはつぶやきます。

「……情けないわぁ」

杖をつく音が深いエンジン音に吸い込まれます。
子どもらが日没への抵抗を終え家に帰ります。
鴉らが乱立するマンションの上で呆然としています。
あの辺りに吹く風にきこえるのは嘆きでしょうか、怒りでしょうか。
どちらにせよそののち続くのは沈黙です。
沈黙は鴉の眼の美のように底なしです。
我々は通り雨となり単なる虹に姿を変えます。
我々はみな今日もこれらのすべてを忘れています。
そうして一日を終えています
な、マトリョーシカ・マトリョーシカ。


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