見出し画像

なにもかも翌日配達蝉の声

梅雨入り四日目、寝起きの彼は小さなアナログ時計の針を見て相変わらず奇妙な進み方をするなと思った。いつの時代も現代は変化のスピードが速いと嘆いているがこの針の速度だけは変わらないらしい。
他に変わらないものは?となんとなく部屋の中を見回してみるとあらゆる家具や家電製品が実は人々が通底して隠し持っている違和感の象徴に見えた。
違和感の象徴?これらは人類が隠し持つ違和感のひとまずの完成品?時計の針はまさにその達成ではないのか。なるほど、よくわからないなと彼は妙な満足を覚えた。

かつて三つ葉のクローバーを探しに行こうと誘ってくれた友は最近地球平面論者になったらしい。
かつてモナ・リザの声マネを披露して暗い場を盛り上げてくれた友は昨日終電に乗り遅れたらしい。

今日は丸一日雨予報だったはずなのに雨はとっくにやんでいて傘を持って家を出た人々は子どもたちに膝カックンされたように拍子抜けし、なぜ雨が降らないんだと狛犬のように怒っている。テレビは昨日のことを忘れ今日も体育祭のように騒いでいるけれどそれらはあいかわらずてきとうなことを言われては真面目に受け入れるという回転運動をひたすら繰り返す僕たちの責任だった。

蝉の声を翌日配達しそうな程の強烈な陽射しは彼を養鶏場から解き放たれた鶏のような気分にさせた。が、彼はすぐに一体どこに行こうかしらと首をかしげざるをえなかった。が、鶏のかしがった先は水色爽涼の世界であった。潔癖海に浮かぶ王国のようにクリアな空は密集したビル群を見下ろし、時折轟音を立てて吹く風は森の奥深くにまだ生き残る元気な武士たちの歌声を運んでいるようだった。その映像を頭の中でスロー再生していた彼はなぜかひつじ雲の存在を思い出しひどく懐かしい気分に包まれた。

梅雨の晴れ間を眺めることは昨晩からたまった洗い物を綺麗さっぱり片付けたキッチンを眺めるようなもの、といい加減なエッセイのようなことは言えないけれどまったくつながりをなしてない(ふう)な比喩は心を落ち着かせる。少なくとも自己の純度が低い発言を繰り返しいつのまにか言葉を失っている大人たちよりは。なぜか。答えは簡単である。
人間は生来ナンセンスピエロだからである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?