見出し画像

磯鵯のスヌーズ

「いかんですなぁ」
「愉快ですなぁ」
「やれやれ」

資本主義にまみれた街の中でこの三種の言葉を耳にした私の心は鶯の声を聞いた若木のように途端愉快になる。なぜかは知らぬ。
しかし私の皮膚下を巡る血流は静かな森に盛る木の実のような鮮赤に変色しさらさらと私の体内を流れ始める。生まれ持った彩のまま解なき宇宙の風に漂う命のような感もあるといえる。

近頃の私はふとしたときにこの現象になにかいい名を付けることができないか知らぬま考えている。が、バスの列に並んでいるとき電車の席に座っているとき赤信号に立ち止まっているときにも決していい案が浮かばぬ。

二十七年私の首の上にひょっこりついてきたこのかたい頭で考えてみれば、恐らくこの言葉たちが含むどこか楽観的で厭世的な妙が私を惹きつけているのだと思われる。が、私はなんというかこんな説明的な石ころが欲しいわけではない。まさに三種の彼らも「いかんですなぁそんな秩序は」と言うであろうきっと。

春の軽快な風にふと泡のように現れ、お、きたか、と思えばときすでにお寿司。気づけば隣家の大きな桜が散っているようにその瞬間のイメージはもう消失している。が、私はそれでいい。
大きな山の麓、眼前に光る陽の玉、鶯を越え、青を越え、磯鵯が鳴いている。蜜を求め、相手を求め、不規則に、けれどとてもリズミカルに。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?