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第82期名人戦を終えて

※ヘッダー写真は朝日新聞将棋取材X(@asahi_shogi)より


豊島九段の頷き

2024年5月27日、名人戦第5局の終局の気配が漂い始める。時刻は午後7時をまわり、先手番の藤井聡太名人が91手目☗7二金を指した。
離席から戻った挑戦者の豊島将之九段は盤面を見つめ、小さく何度か頷いた。豊島先生にしては珍しいリアクションだった。

豊島先生は、対局中にゆらゆらと上体を揺らしたり、扇子を開閉したりなどの動きがほとんど無い棋士だ。読みを入れる時に指先でトントンとリズムを刻むくらいで、良い時も悪い時も顔色ひとつ変えずにポーカーフェイスを保っておられる。
だからこそ、ファンはその心中を先生のほんの僅かな表情の変化から推し量ろうとする。

ああ、そう指されましたか、私の読み通りに進行しています、とでも言いたげな、落ち着きはらった表情だった。
プロ棋士は、自分がどんな進行を辿ると負けてしまうのかも読み進めるが、自分の指し手の間違いを認め、負けに向かっていることを分析する作業は想像しただけでもつらい。
ただ、豊島先生には苦しい読みでさえ目を逸らす事なく受け止める、底知れない精神力の強さがある。
厳しい勝負の世界に四半世紀もの間身を置いてきた事で、一手一手後戻りのきかない棋譜を紡ぐからには負けの局面であってもしっかりと見つめるという習性が、切なくも骨の髄まで染みついておられるのだろう。

電光石火の龍引き

私は豊島先生の覚悟を感じ取った。胸を締め付けられながらも、どんな結果となろうとも先生の戦いぶりを目に焼き付けようと、2日間の長丁場の最後の気力を振り絞り、毎日新聞YouTubeの中継画面をじっと見守っていた。

攻め駒を蓄えた藤井名人はじわじわと豊島陣への侵略を開始した。すると突然、それまで静かに着手していた豊島先生が2九にいた龍を自陣の2二へと素早く引き戻した。
秒に追われていたわけではないのに、一瞬のチェンジオブペースにハッとさせられた。まるで早指し棋戦のような鋭い挙動だったからだ。
来れるものなら攻めてこい、緩手なら叩き斬るぞと言わんばかりの気迫で、線香花火が最後に激しい火花を散らすような凄みを感じた。
記録係へ残り時間の伝え方について指示を出される豊島先生の目の色から覇気は消えていない。先生は最後の最後まで全力で戦おうとされているのだと、私は早くも気落ちしてしまっていた自分を恥じた。

致命傷を負わせ、仕留めたと近づいてみると牙をむいて襲いかかる獣のような獰猛さは、華奢で涼しげな豊島先生の端麗な容姿からは想像もつかない。
そして、この状況でなお諦める事なく可能性を信じて戦い続けるひたむきさ。
こういう先生だからこそ心を奪われ、応援してきたのではなかったか。

そこからは私も終局の瞬間まで全力で祈り、戦況を見守る事ができた。
私にとって、初めてリアルタイムで観戦する豊島先生の名人戦は、熱を帯びたまま、埋み火のようにその幕をおろした。
必ず、掘り起こしてまた火を点す日が来ると信じて。

流氷が見える街の心温まるおもてなし

オホーツク紋別空港から羽田空港への直行便は1日1便の為、対局者と関係者は別々には行動せず、御一行様として移動される。
翌朝は飛行機を待つ間に紋別市観光の見どころの一つである砕氷船の見学が行われた。
対局が終わればノーサイドだ。先生方の表情からは名人戦を終えたという安堵を感じられ、笑顔も柔らかい。

この日は紋別市長自らが案内役を務めてくださるなど、名人戦の日程中は市を挙げての熱烈な歓迎ぶりがとても印象的だった。私もそうだが今回の名人戦をきっかけに紋別市を知り、自分もぜひ訪れてみたいと思ったかたはとても多かっただろう。

まるで兄弟⁈つぶらな瞳で見つめるアザラシと豊島九段
(野月浩貴八段@nozuki221 Xより)

気がかりだったこと

名人戦を終えたマスコミ各社の報道では、スコア自体は藤井名人の4勝1敗だったものの、第1局や第2局では豊島九段勝ちの局面もあり、総評して僅差の熱戦が繰り広げられたことを讃える内容が多かった。

第5局での四間飛車など、5局全てで様々な戦法を採用した豊島先生の戦いぶりは、積み上げてこられた引き出しの多さと総合力の高さに感嘆するばかりだった。
序盤早々に前例を離れ、一手一手を考え抜き死力を尽くす先生方の頭脳合戦となったこの名人戦は、きっと今後も長く語り継がれていくことだろう。

私もその熱戦を目の当たりにした事で、ふと不安が胸をよぎっていた。
豊島先生は名人戦開幕前のインタビューで、「竜王を失い無冠になり、これからどうするかを考えた時に、竜王戦第4局で、もっとやれたんじゃないかという思いがあった」と仰っていた。
もっとやれたはずだという気持ちがモチベーションだったなら、今回この壮絶なシリーズを終え、もう十分に悔いがなく出し尽くした、に変わっていないだろうかと。

野球やサッカーでは40代以上で活躍するプロ選手は一握りしかいないが、こと将棋棋士に関しては羽生善治先生をはじめ多くの50代以上の棋士が最前線で活躍されており、比較的その選手寿命は長いといえる。
それでも、全国各地を転々としながら心身を削るようなタイトル戦を戦うには、体力・頭脳のピークをそこで発揮できるように日々鍛錬を積まなければならない。
大きな注目を集める舞台に立つのは精神的な重圧も相当なものだろう。
4年に一度のオリンピックを目指す選手のように、極限の緊張状態で最高のパフォーマンスを見せる為には、相当な覚悟が必要だ。のうのうと日々を過ごす素人の分際で軽々しくもまた頑張って欲しい、などとはとても言えない。

名人戦が終わって数日の間、私はずっと考え続けていた。豊島先生の闘神を身に乗り移らせたような戦いの場の表情と、観光を楽しむ優しく穏やかな笑顔は別人レベルだ。これほどまで頑張り抜いた先生に、またすぐに次をと願うのは我が儘が過ぎるのではないか、とも思った。

それでも、おそらく豊島先生は我々の思いをよそに、しなやかに次に目指すステージへと意識を向けておられるような気がしてならない。
帰路に着く為、紋別空港の搭乗口へと向かう豊島先生は、スーツケースを軽やかに引きながらいつものように真っ直ぐ前を見ていた。きっと次の戦いの場へと向かう便にも、こんな風に自然に躊躇なく、颯爽と乗り込んで行くのだろう。

「将棋は本当に楽しいです。昨日負けた私が言うのですから間違いないと思います。」と仰るようなかたなのだ。豊島先生の視界の先には、もう次に指してみたい将棋の局面が広がっているのかもしれない。

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