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第43回将棋日本シリーズJT杯プロ公式戦四国大会観戦旅行

2022年9月17日。四国では2019年の第40回大会以来3年ぶりとなる将棋日本シリーズJT杯の公開対局が高松市・サンメッセ香川で開催された。

JT杯への出場資格はタイトルホルダーと前年度獲得賞金額の上位者から12名という明快さからも、今勢いに乗って勝利を重ねているトップ棋士が名を連ねる。四国大会の対局者は大会二連覇中の豊島将之JT杯覇者と、今期順位戦A級に復帰し2連勝で単独首位を走る稲葉陽八段。同じ関西所属棋士で年齢も2歳違いと近く、好敵手同士の戦いは強豪揃いの出場棋士の中でも屈指の好カードだ。

幸いにも当選通知を頂き、2泊3日の観戦旅行へ行ってきたので、道中の観光の様子も含めて観戦記としてお楽しみ頂ければ嬉しい。


【9月16日】金刀比羅宮へ参拝

学生の頃に高知県へ旅行して以来、約四半世紀ぶりの四国へ意気揚々と瀬戸大橋を渡った。北陸から四国は移動に5時間以上かかるため、前乗りは最初から決めていた。
瀬戸内海のしまなみは美しく、9月でも夏を思わせる明るい陽射しを感じながら、前泊地の琴平に到着した。

一面に広がる青色の中に島々が点在する瀬戸内海
金刀比羅宮の門前町らしく和モダンなJR琴平駅の駅舎

子供の頃に読んだ壺井栄の「二十四の瞳」に修学旅行先として描かれたこんぴらさんは、一度は訪れたい寺社のひとつだった。参道へ続く道筋には土産物屋や風情のあるレトロな和風建築が並び、金曜日の昼という事もあり、静かでゆっくりとした時間が流れている。完熟いちじくのデザートまでついた美味しいうどん定食で昼食を済ませ、元気いっぱいに参拝へ向かった。

金毘羅饂飩 狸屋 讃岐うどん定食

参道のここから一段目という場所で、杖を100円で借りられるようになっていたが、さすがに若いので大丈夫だろうとスルーした。しかし、登り始めると785段のうち200段あたりでこれはおかしいと気づく。石段は一段一段が微妙に高さが違い、でこぼこなので地味にキツいのだ。
途中の土産物店の店先であと何段くらいですかと尋ねると、残り500段くらいだと仰る。えぇ、マジですか。思わず本音が口をついて出た。
往復ならゆっくり参拝されても2時間くらいですよ、休みながら行ってきてくださいねと優しい笑顔で送り出してくださった。気温は25度以上はある。全身から汗が吹き出るが、ここまで来て行かないという選択肢は無い。ひたすら御本宮を目指した。

土産物店が軒を連ねる150段目付近。まだ序盤戦だ。
御本宮へ続く最後の石段

ついにゴール(御本宮)まであと133段。最後の石段を、無心で登りきった私は感無量だった。弱い自分に勝った。日頃体を鍛えておられるかたには大袈裟かもしれないがそれぐらいの達成感だった。
この大変さは、ここまで来る間に邪心を洗い流すための通過儀礼なのかもしれない、とふと思った。必勝祈願の一念で登った私は絵馬に迷わず豊島先生の勝利を願って奉納した。
下りは午後4時近くになっていて気温も下がり、風が心地良い。重要文化財の旭社は緑が鮮やかに映えていた。途中、私を励ましてくださった土産物店のかたに無事参拝できたことのお礼を伝えて帰路に着いた。

金刀比羅宮 旭社(重要文化財)

【9月17日】サンメッセ香川・公開対局

こんぴら詣での疲れは宿泊先の温泉で癒し、いよいよ指折り数えて楽しみにしていた公開対局へと向かう。Googleマップで経路を確認し、琴電琴平駅へ着いたものの、切符売り場で目的の駅名がない事に気づく。あれ?伏石線のサンメッセ駅では?路線図の看板を見上げてまごついている私を見て、駅員のかたがどちらまでですかと尋ねてくださった。
サンメッセ香川へ行きたいのでサンメッセ駅までですと伝えると、怪訝そうな表情を浮かべた。
サンメッセ駅というのは無いですよ、と。え?私が見た経路は幻かと慌ててもう一度確認すると、電車ではなくバスのアイコンだった。単純な見間違いに情けなくなる。
すると駅員さんは、伏石駅は2階建てて、1階にバスターミナルがあるからそこの駅員に聞いたら乗り場なども詳しく教えてもらえますよと説明してくださった。
一旅行者の準備不足に迷惑な顔一つせずにここまで優しく教えてくださる駅員さん。涙が出そうだった。香川県に来てから、お店のかたも、タクシー運転手さんも、駅員さんも皆さんが温かい。日々時間に追われている私には琴電のゆっくり流れる車窓の風景までもが癒しだった。

対局会場のサンメッセ香川

12時50分の集合時間の約30分前位から参加受付が開始された。ここでは受付のみなので先着順で慌てる必要はなく、会場内で当選番号順に整列し直して、番号の若いかたからエリア自由席として着席していくらしい。人気棋士を少しでも良い席で見ようと殺到しない為の配慮だろう。広島大会で稲葉先生の奥様が振り駒に当選されたエピソードを受け、家族のかたは振り駒抽選には参加しないようにと改めてアナウンスされているのが笑いを誘っていた。

ほぼ予定通りの時間に対局者がスーツ姿で登壇され、豊島先生、稲葉先生の順に対局前のご挨拶をされた。
豊島先生は、本日はこれから子ども大会決勝とプロ公式戦をお楽しみ頂き、明日以降も何らかの形で将棋に親しんでもらえたらと話された。「好きな将棋を、好きなように、好きなだけ」の大会キャッチコピーを、改めて豊島先生の考えた言葉で聞けた事が嬉しかった。
稲葉先生は、小学生の頃から練習対局も含めて何千局も指してきた、手の内を知り尽くした強敵なので精一杯良い将棋にしたいと抱負を述べられた。また、井上慶太九段門下から新四段となった藤本渚先生の出身地が香川県である事にも触れられ、会場からは拍手が起こった。

対局前挨拶に登壇された両対局者

解説者トークショーと子ども大会決勝を終え、いよいよプロ公式戦の対局開始だ。対局者お2人とも美しい和服姿で登場された。将棋の伝統文化としての側面を色濃く感じさせる和服姿での対局は、観戦するものにも強烈な印象を残す。実際に私も、前期竜王戦で豊島竜王がセルリアンタワー能楽堂の舞台に登場された時の衝撃は今でも忘れられない。
これから始まる真剣勝負の場に臨む棋士の覚悟が伝わり、すぐそばにおられるのに対局者二人だけがまるで異空間かのように張りつめた緊張感に包まれる。これを生で味わえる事こそがJT杯の醍醐味だろう。

豊島将之JT杯覇者
稲葉陽八段

振り駒で先手は豊島先生に決まり、対局が開始された。戦型に雁木を選択されたのは豊島先生としては昨年末に開催されたSUNTORYオールスター戦の横山泰明戦以来だ。
雁木はプロ棋士の対局全体でも珍しい戦型である。これを採用されたのには中3日後の9月21日に先後逆で行われる両対局者のA級順位戦や、永瀬拓矢王座に現在挑戦中の王座戦に配慮し、角換わりや相掛かりの類型となる展開を防ぐためなのかもしれないと感じた。

序中盤は後手の稲葉先生も相雁木を選び先後同型で追従する。豊島先生は自玉の入城前に積極的に攻めるが、後手の稲葉先生もうまく受けて決め手を与えない。均衡の取れた、トップ棋士らしい戦いが続く。しかし、感想戦で豊島先生が仰った通り、後手が馬を作った辺りから先手の攻めの要となる飛車の動きが牽制され始める。そして稲葉先生は豊富な歩を嫌味に使い、なかなか先手に手番を与えない。観戦しているだけの私でさえ息苦しい展開だ。

豊島先生は前のめりに盤を凝視し、真剣に手を探す。肘までたくし上げた和服の袖口から覗く握り拳は、座布団に刺さるほどに突き立てられている。その表情を見るだけで、この将棋に今まさに全力を尽くす豊島先生の熱量が手に取るように伝わってきた。

しかしこの熱戦にも終局の瞬間は静かに近づいてきた。一手指し、水を口に含まれる豊島先生。解説者も会話を控え、会場も息をひそめて見守る。まで116手にて豊島先生の投了。稲葉先生は自身初の準決勝進出を決めた。残念ながら私が絵馬にも願った豊島先生のJT杯三連覇は叶わなかったものの、この瞬間、対局者お2人と同じ空間を共にできた幸せに感謝して、手が痛くなるほどに心を込めて大きな拍手を送った。

【9月18日】帰宅、そして思うこと

対局翌日は倉敷観光を予定していたが、台風14号の接近中で列車運休の恐れがあったため、中止して昼過ぎには無事に帰宅した。2日遅れでやってきた金刀比羅宮参拝の筋肉痛に悩まされながらも、昨日の豊島先生の勇姿を思い出して余韻に浸りながら、この記事を書いている。
豊島先生は今年のオールスターファン投票でも関西地区2位に選出される人気棋士だ。強く、佇まいは美しく、可愛らしさもある。豊島先生を応援するかたに理由を尋ねたらきっと十人十色だろう。
「好きな将棋を、好きなように、好きなだけ」
このキャッチコピーは、棋士先生にも当てはまると思う。応援する理由なんて何でもありなのだ。その応援の気持ちや将棋を愛する気持ちこそが素晴らしくて、これからもずっとその気持ちを持ち続けて将棋界を盛り上げていけたら本当に素敵なことだ。

私はいつか、何十年先になってもいい、指導対局で柔和な笑顔の豊島先生が一瞬でも本気を出される瞬間の表情を、昨日見たあの鋭い眼差しを、盤を挟んで見てみたい。そんな途方もない夢をひっそりと温め始めることを心に決めた。

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