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庭に舞い降りたズバット


家の庭にズバットがいた。

右下の図鑑説明に「陽の当たらない洞窟に棲む」と書かれている。
コウモリなんだから当然だ。君は本来、イワヤマトンネルとかおつきみやまだったらおびただしい群れを為しているけれども、こんなトキワシティの片隅に現れるポケモンではないはずだ。

カードは折れ、撚れ、土がついている。
ズバットには目がない。きっとこの地にたどり着くまでの間、電柱にぶつかったり、畑に突っ込んだり、トラックに煽られたり、色々ありながらようやく止まり木を見つけた所なのだろう。
大した遮蔽物のない街なので、その「まるみえエコー」とかいう自信ありげに赤い文字で書かれた特性も活かせないはず。


小学生の頃は、屋外でカードゲームに興じていた。
別に、僕の家だって良いし、友だちの家だって良かったのに、なぜかいつもマンションのエントランスとか、公園とか、神社の境内でカードゲームをやっていた。
風にあおられれば簡単に飛んでいくし、スリーブもしてないので砂利の形にカードの背が傷つくことも当たり前。友だちのカードが夕闇に紛れて逃亡して、夕方の鐘が鳴ってからもしばらく神社で探し続けていたこともあった。不思議とそういう理由で遅く帰った時だけは、何も言わずとも母からは叱られることがなかった。

何の気なしにパックを買ったら当たった、文字が金色に輝く『二頭を持つキングレックス』が僕の切り札だった。攻撃力1600、恐竜族。どうしようもなく使いづらいカードだったけど、でもそれが僕の切り札ということにしていた。
そんなレックスもまた、いつも神社の釣り鐘下のコンクリートに直置きされながら闘っていたので、それなりにボロかった。このボロさが切り札っぽいよね、このボロさが相棒っぽいよね、そんな初歩的なメタ的感覚すらなかったと思う。

いつしか、カードに1枚ずつ値付けがされていることを知った。
使い勝手の良いカードや入手しづらいカードを皆こぞって欲しがり、そうではない誰でも持っているようなカードは箱の奥底にしまわれるか、100枚単位でまとめて売られる。パックを買ったら「レア」が入っているかどうかがほとんど唯一の関心となり、そうではない普通のカードはほとんど人の手のぬくもりを感じないまま、おびただしいカードロットの中に沈んでいく。
こんなことは僕がいちいち言わなくても、カードをやったことのある人なら誰もが通る、いやカードに限らず誰もが何かしらで体験する「子どもから大人になる上での通過儀礼」のようなものだと思う。


ズバットは、どういう冒険を経て、うちの庭に降り立ったのだろうか。
僕はポケモンカードをやらないので詳しくないが、イワヤマトンネルにうんざりするほど登場するようなポケモンだし、唯一のワザが「かみつく 10」なんだから、きっと「レア」とかではないんだろう。
そんな君は、生まれてから今日までの間、ほんの一瞬でも、誰かの手の温度を感じる瞬間があったのだろうか。
風に乗り、土にまみれ、折れ、撚れながらここにたどり着いたズバットを眺めるためにしゃがむと、僕の背中に冬の太陽が浅めに照りついて、彼の脇に小さな影が落ちた。

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