感受性と、さいきんの「すき」
今日コーチングをしてもらっているりょうじさんに「みよよさんはとても感受性が豊かだね」とほめてもらえた。
わたしはあまり感受性のことを触れられるのが好きではなかった。なぜだろう。ロジカルな人間でないと、言われている気がしたからかもしれない。ロジカルさ以外は仕事に不要で、感受性を豊かにする暇があったら、ロジカルさに磨きをかけないとどこかで思っていた。
一方でわたしは、茨木のり子さんのこの言葉が大好きだ。
自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ
最近自分らしくありたいと思うようになってきた。結婚もしたことだし、少しずつ若かったころの体力が減り、良い意味でも自分の限界も見えてきて、スーパーウーマンではない自分を受け入れるようになった。若いころはなんでも出来る女性にあこがれた。仕事も圧倒的なアウトプットを出し、子育てもして、プライベートも充実できる女性になりたかった。でもわたしはなれないし、きっとそうなっても満足できないだろう。わたしはのんびりが好きで、目の前の人を喜ばせることができれば幸せで、仕事も自分での目標が達成できるだけでうれしくて、何が何でもトップセールスになりたいわけではない。そういった自分も受け入れようと思えるようになった。
自分らしくありたいと願うようになった中で、冒頭の言葉を投げかけられて嬉しかったのと同時に、自分らしさを象徴する感受性を自分で守ろうと決意したのだった。だから好きなものは大事にしようとも同時に思った。
わたしが今すきなのはもっぱら「カモ」だ。
画面中央のカモが何をしているのか、みんなはお分かりだろうか。居眠り中なのである。カモはくちばしが冷えてしまうのを避けるため、こうやって羽に顔を突っ込んでねるらしい。かわいい。
リモートワークの今、晴れた平日の夕方は休憩を兼ねてカモのいる池に散歩に行く。カモはいつも違った表情を見せてくれる。ゆっくり寝ていたり、虫を追いかけまわしたり。すいすいと自由に泳ぐカモを見て、仕事のいやなことが忘れられる。わたしの感受性を守ってくれる大事な相棒だ(近づいたことないけどね)。
今の家は東京23区だけど自然がたっぷり。時にはスズメバチに追いかけられたり(超こわかった)、家の玄関まで帰ってきたらカマキリが手を挙げて一生懸命威嚇してきたり、カモの親子がよちよち歩いていたり。
最初は超都会に住もうとして家賃との兼ね合いで今の家にしたので、引っ越す気満々だったけど、このままでいいかなあと思っている。ゆっくりのんびり、仕事で忘れがちな自分らしさを見つめるためにも。
明後日は夫とピクニックに行こうと約束している。お弁当をもって、カモを見ながら、きれいな風を受けながらわたしは何を感じるんだろう。そんな他愛もない、人生にとって意味のないかもしれない時間もこれからは楽しみたい。