見出し画像

34歳未経験者がライタースクールに応募したいと思ったきっかけ-生まれて初めての収入の話-

こんばんは。みよよです。60歳の老後に叶えたいと思っていた夢が、思ったより先に一歩が踏み出せそうになった時皆様ならどうしますか?

私は動揺しました。

今日は自分が叶えたいと思っていたライターの道になぜ挑戦しようと思ったのか、その原点は何だったのかを振り返りたいと思います。

1.60歳の時に叶えたいと思っていた夢

新卒の時、私は書くことにまつわる仕事がしたいと思い就活をしました。ですが、出版社も新聞記者もすべて内定はもらえず夢は破れました。その後色々紆余曲折を経て、「いったんは一生暮らせるだけのお金を稼ごう。60歳になったらある程度お金は貯まるだろうし、そうしたら仕事を辞めて書く仕事をやってみよう。そのやり方だと稼げなくても何とかなる」と決めました。

1度書くことを本業に出来なかった人が、途中から書く仕事に就けるような手段を知らなかったのです。

34歳になった今。書くことは変わらず好きで、所属しているコルクラボでもたまに記事を書くお手伝いをします。


特に自分も疑問を持たず、たまに書いていることが楽しみでした。書くことを仕事にしないのは自分で決めたことだし、仕事にする手段をそもそも知らなかったから。

でも、ある日こんな投稿をtwitterで観たのです。

スクール!!しかも未経験でもOKというのに心惹かれた。またコルクラボで古賀さんがお話したときに、書くことへの真剣さが身にしみて伝わってきて、あまりにも自分と遠すぎるけど、その高みに行ってみたいと思った。不思議なことに。

一方でわたしより文を書き続けている人も、上手な人も、この世にたくさんいることも知っている。その中で一歩を踏み出すのは怖い。けれど今応募しなかったら絶対に一生後悔する。勇気を出してみる。

今日は応募する前に、自分の書くことの原点を振り返ってみました。

2.初めての稼ぎは書くことから産まれた

皆は初めて稼いだ時のことを覚えているでしょうか?私ははっきりと覚えています。それは小学校2年生の時。厳密には稼ぐとは違うけれど、自分の力で報酬を得た経験があります

小学校2年生の私。はっきり言ってポンコツでした。人見知りで友達もいない。手先も不器用で運動音痴。自分で得意だと胸を張れることが一切なくコンプレックスの塊でした。

そんな私を見て担任の先生が、「みよちゃんにぴったりなコンクールがあるよ、応募してみない?」という風に言ってくれたんですね。郵便局が主催していた全国作文コンクールでした。私はこんなポンコツな自分に、先生が勧めてくれる、やれることがあるというのは嬉しかったのです。本当に放課後毎日毎日教室に残って、何回も文章を書いて何回も推敲して、締め切りの日ギリギリに先生に提出しました。
その結果、賞をとって表彰され、自分の作文が5000円の図書券に変わりました。当時のお小遣いが月500円だから10か月分。

びっくりしました。こんなポンコツでもできることがあるんだ、と。5000円の図書券をもらえることに値することができるんだっていうのが、印象に残っています。

3.根拠のない「私ならできる」という自信

それから幾度となく、文章を書くことはわたしを救ってくれました。

塾の運営スタッフをやっていた時代、ホームページの文章を室長の代わりに書いたら問い合わせが3倍になったり、保険営業時代お客さんと話すきっかけがなかった時に自分のコラムを書いて配ったら、お客さんに話しかけてもらえてそこから契約をとれるようになったり。

ぽんこつな私でも、文章を書くことにはしがみついていいのかも。運動や、家庭科とは違って。そうやって自分に自信をつけてきました。

もし本格的に勉強を始めたら。もしかしたら心の拠り所がなくなるかもしれません。自分が上手だと思っていた文章は大したことがなく、ぽんこつな私はさらにぽんこつだったと自覚するかもしれません。

でも、しがみつきたい

よくわからないけど、そう思うのです。自分を救ってくれた書くことを自分から見捨てたくない。しがみつきたい。自分のよりどころくらい自分で守りたいのです。

そんなこんなでどうなるかわからないけど応募します…!

また、書くことについてnoteは綴っていきます。ではでは。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?