自転車は左側通行です-外に出る怒りの原因は内にある苛立ちからか-

こんにちは。8月も後半になりましたが、今だに気温が高く、酷暑という表現が残念ながら適した日々が続いています。熱中症等に加えてコロナ感染症にも気をつけなければならない2020年の夏は本当に大変な夏になったと思います。まだしばらく体調管理にはくれぐれも留意しなければなりませんね。

今日は、ちょっと起承転結を意識して書いてみました。それほど長くはないと思うので最後まで読んでもらえたらうれしいです。

『自転車は左側通行です-外に出る怒りの原因は内にある苛立ちからか-』

 直感的に「イヤだ」と思うことに直面することが多々ある。何かを目撃した瞬間に「イヤだ」「カチンとくる」といったようなことがら。例えば、「自転車で右側を並列で走る女性たち」を目撃すると瞬間的に眉間に皺がよる。なぜ「眉間に皺がよる」、そういった感情になるのか。その「直感的にイヤだ」と思うことにも理由があり、要因があるはずだ。では、直感的に嫌悪感が生じる背景には何があるのか。例に挙げた「自転車で右側を並列で走る女性たちに対する嫌悪感」ということについて考えてみようと思う。
 これを分解すると、「①自転車で右側を走る、②並列で走る、③女性たち」の3つの要因から「嫌悪感を抱く」ことになると考えられる。私個人的な主観でみると、①と②に関しては、交通マナーを守ることができない(性別関係なく)人間たちに嫌悪感がある。③に関しては、基本的にはフラットな感情だが、どちらかというと女性たちを信用していない節はある。といったことから、3つの条件が重なると反射的に嫌悪感が生じるのだろう。
もう少し掘り下げてみるとどうだろうか。
 ①の背景には何があるのか。先ず1960年代に自動車が増えたことにより事故が増え、自転車が歩道を走ることが認められた。その後の時間的経過により一定の人たちの中に「自転車=歩行者」という認識になったのではないか。他方、自転車の乗車マナー向上の取り組みをカリキュラムとして行っていないこと。そして、子どもたちが正しいルールを知らないうちに大人になり、親になっていることが考えられるのではないか。こちらも時間的経過による功罪ではないだろうか。①の要因に関して、1960年代の社会的な変化に起因する対策が、その後の時代に応じた対策に改変されてこなかったことが原因と考えられる。そしてその結果、人々は少しずつ自転車を乗る時のルールを変化させてしまい、それを正しいものと誤認してしまうようになったのではないか。
 ②の背景は、①を踏まえた上で生じたと思われる。並列走行は、「自転車=歩行者」という認識の下による行動であると思われる。小さい子供と母親が手をつないで並んで歩くように、自転車に乗り出した子どもと親が並んで走るようになったのではないだろうか。ここでもマナー向上の取り組みが一過性なものであったり、単発的なものであるため、「自転車≠歩行者、自転車=車両」という認識が欠如したまま大人になってしまい、また、その大人たちが子どもを育てていることになっているため、並走することを間違ったことを思わない人たちが増えているのではないか。
 ③に関しては上述した通り女性の行動に対して否定的に見ている。女性全てがという意味ではないが、多くの女性の行動を信用していない。もちろん、少なくない人数の男性も私が嫌悪感を抱く行動をしていることは否めない。即ち私が抱く嫌悪感は「ジェンダー」というよりも「脳の働き方」による違いであると考える。論理的思考を優先するか、感性を優先するかということである。個人的には周囲に配慮のない人たちに嫌悪感がある。周囲に配慮をすることができるということは、論理的にその状況を捉えることができ、その場で最善の対応をする判断ができることだと思う。また、「今」の行動が「近い未来」に何らかの影響をもたらすことを想定して行動できることだとも思う。他方、感性を優先する人たちは、自身の感情、「楽しい」や「急いでいる」というものに忠実でそれを遂行することに集中するのだろう。意識的に周囲にトラブルを作ろうとしているわけではない。しかし、その行動がトラブルになる可能性があることを考慮しない。言い換えれば、「今」の行動がその先にどんな状況を作るかを考えずに行動をしないということである。その違いが私個人に生じる嫌悪感の理由だと思われる。
 直感的に「自転車で右側を並列で走る女性たち」に嫌悪感が生じる理由は、社会的な変化に対応した対策が軽視されていることへの不満と、個人やその仲間以外の「その他」に対する気遣いの無さに対する不満であると思われる。そして、他者への気遣いや近い未来への影響を想定しない行動からくる苛立ちだと思われる。これらが同時に現れ、且つ頻繁に目撃する「自転車で右側を並列で走る女性たち」という事実が結果として自身の何もできない無力感と、それに伴う脱力感となり、自身の中の憤りが彼らに対しての怒りになるのであろう。


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