「こちら側」と「あちら側」

こんにちは。今日は快晴、昨日から気温も30℃を超え、夏の暑さを感じるようになりました。まぁ、7月19日ですし、小学校等では「夏休み」が始まる時期ですから。

ここ何回か「HSP」に関わることを書きました。私は専門家でも何でもないですし、相談を受けたりすることはできないのです。けれど、「HSP」であるかそうでないかといった一種の「二項対立」的なことについてはずっと前からいろいろ考えていました。いわゆる「こちら側」と「あちら側」の話です。

「こちら側・あちら側」といってもいろいろなものがあると思います。「男性側・女性側」であったり、「年配側・若者側」であったり。どんな場面においても多様な立場があって、そこには論理や思考があると思います。その論理や思考がお互いに理解できたり、認めることができれば多くの争いはなくなると思っています。

そこに至った経緯は、私自身「こちら側」と「あちら側」の狭間で苦しみ、塞ぎ込んでいた時期があったからです。自身の中で「なぜ理解してもらえないのだろう?」という思いが膨れ上がって、自分の至らなさを責めていました。自分がダメだから理解してもらえない、認めてもらえない、と思っていました。今でもそう思う時が現れて、心のシャッターを下ろしてしまうことはあります。そういう時は休むようにはしていますが…

私が苦しい時期に迷い込んだきっかけは、(当時)日本で思われていた「常識」ということと、私の論理や思考にギャップがあり、会社組織で疎まれたことでした。私は高校卒業後海外へ渡り、大学、大学院を終わらせました。当時はその経験や経験に起因する考え方や振る舞いに何の疑問も持っていませんでした。(今から思うと若かった、世間知らずだったんだと思います。)至極当たり前に振る舞い、当たり前に暮らしていました。けれど、当時の日本的常識からすると煙たいヤツだったんだと思います。それを感じ始め、(私は「繊細さん」なので割と早くに気がついたと思います。)なぜそうなるのかわからず、気を病むようになりました。

私から見た「こちら側」の論理や思考が、「あちら側」すなわち「常識」とズレがあったんでしょう。「こちら側」の論理や思考で「あちら側」を見た時に、「なぜ〇〇しない?」と思っても、「あちら側」では「〇〇しないことは当たり前」だったわけです。同時に、「あちら側」の論理や思考で私(「こちら側」)を見た時、「なぜ〇〇するんだ?」ということを感じていたのでしょう。そこに、同じ組織に居るのだから、同じ日本人なんだから、といったステレオタイプが入っていたことで、お互いにそれぞれの論理と思考を押し付けあっていたんだと思います。

このようなことが起きてから、それをどうすれば回避できるかを考え始めるまでかなり時間がかかりました。しかし、様々な場面で「こちら側・あちら側」を経験したからこそ両方の存在を知り、それを繋ぐ方法を考えようとしています。

まだまだ有効な解決策を提案することはできないですが、まずは自身でできることから進めていこうとしています。

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