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00年代のノリと「パリピ」の誕生

 2006年にリリースされたmihimaruGTの『気分上々』、そして2007年にリリースされた大塚愛の『PEACH』の歌詞のなかに、面白い表現がある。

Hey DJ カマせ yeah yeah yeah 気分上々↑↑の針落とせ 音鳴らせ パーリナイ 飲もう ライ ライ ライ みんなで踊れ! Hip-Pop ピーポー かけてよミラクルNumber(mihimaruGT『気分上々』)
太陽サンサン 盛り上がる今年は 歌いたい 気分ルンルン 飲みたい放題 笑いたい(大塚愛『PEACH』)

 こうした「飲もう」とか「飲みたい放題」とかいう表現は、なかなか今のヒットチャートには登場しないだろう。00年代半ばというのはそんな雰囲気だったようだ。「こんな暗い時代だからこそ楽しまなきゃ」というある種の退廃主義が流行った時代だったのかもしれない。ちなみに、こうしたムードは、1999年リリースのモーニング娘。『LOVEマシーン』あたりから始まっているような気がする。

日本の未来は (Wow Wow Wow Wow) 世界がうらやむ(Yeah Yeah Yeah Yeah) 恋をしようじゃないか! (Wow Wow Wow Wow) Dance! Dancin'all of the night(モーニング娘。『LOVEマシーン』)

いずれにせよ彼女らに共通するのは、今でいうところの「パリピ」的ノリである。

さて、「パリピ」という言葉について。Wikipediaの「パーティ・ピープル」の項目には、次のように書いてある。

2014年には「パーティーピーポー」を自称するエンターテイメント集団イルマニアが、日本テレビ系列のテレビ番組『月曜から夜ふかし』で注目され、以降、各地のイベントなどに出演が広がった。
2015年には「パリピ」がギャル語として注目され、ギャル流行語大賞の第1位に選ばれ、この時点で20歳前後の若者たちを指す「パリピ世代」といった表現も用いられるようになった。2016年には、原田曜平の『パリピ経済:パーティーピープルが市場を動かす』など、「パリピ」を書名に含む書籍が相次いで出版された。

 これに関して、「パリピ」という言葉が興隆したこのあたりの時期、パリピの影響力はむしろ下落傾向にあったのではないかと僕はみている。つまり、この言葉が流行り始めたころには、すでに「パリピ」がポップ・カルチャーを引っ張る時代は終わっていたのである。むしろこの言葉は、そういう人たちを公然と揶揄・嘲笑することに何らかの価値が付与される社会的空気によって生まれたのではないか。これが今日の仮説である。

 時代は変わった。恐らく2010年代前半のどこかで、パリピはポップ・カルチャーを引っ張ることができなくなった。彼らは揶揄の対象となり、その代わりに、人の良さそうなお兄さんがストレートに失恋を歌うのが流行る、そんな時代になった。あるいは、「チャラそうでチャラくない」芸人が持ち上げられ、本当に羽目を外した芸能人がSNSで叩かれる時代に。僕は、最近のDA PUNPの『U.S.A.』ブーム(2018年)の中にも、少なからずパリピ揶揄があったとみている。

 そしてこうした変化を、僕はあまり好ましく思っていない。退廃主義だろうがなんだろうが、既存の価値観が破壊される時期と言うのは、閉塞感がなくて呼吸が楽なのだ。そういえば少し前は、夏になるとよく、散々はしゃいでゴミを残していく江ノ島の若者たちを見に行ったものだ。解放感と安心感を求めていたのかもしれない。このくらい羽目を外すひとがいるのだから、自分も多少は羽目を外していいんだ、と。その意味で、彼らは我々を自由にしてくれていたのだ。

渋谷のハロウィンではしゃぐ昨今の若者は、僕が求めているものと微妙に異なる。それは、彼らが批判的に報道されるということが分かっているからかもしれない。どうしても、苦言を呈する「マトモ」な人たちの顔がチラつくのである。これこそまさに閉塞感の時代である。


僕は好きだけどな、パリピ。

好きだけどな、大塚愛。と、それが流行る時代。



※以前Twitterに書いたものを再編して掲載した

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