蝉丸についての思い出
これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関
私が最初に覚えた俳句である。百人一首にも記載される、蝉丸の句である。
「どの人もここで出会ってここで別れる、まさに大阪(逢う坂)の関だなぁ」という、恋愛の句が多い百人一首にしては少々異質な恋愛がらみでない一期一会を詠んだ句である。
私がこの句をどの俳句よりも最初に覚えたのには、とあるエピソードが関わっている。
幼稚園の年長の頃、先生が百人一首を持って来ておおまかな説明をした。カルタの少し難しいバージョンであること。100人の歌人が詠んだ「俳句」というものがそれぞれ載っているということ。
当然、本来の百人一首で遊ぶのは幼稚園生には至難の業なので、慣れるために坊主めくりをすることになった。
坊主めくりは簡単な運ゲーで、山札から男札をめくればゲット、女札をめくれば墓場の札を総取り、坊主をめくったら手札を全て墓場に持っていく、というものだった。「坊主は男でも女でもないってか」と甚だ疑問に思う。
みな単純に勝った負けたで大盛り上がりで、悔しくて泣き出す困った園児もいた。坊主という見慣れないツルッパゲなビジュアルも含まれて、誰かが坊主をめくる度にフワッと笑いが起こった。ごめん坊さん
数回やっていくうちに、遊びの時間に切れ者の友人の提案で「リーグ戦を開こう」ということになった。正しくは本来の意味のリーグ戦とは異なるが、黒板の後ろにのJリーグように1グループ2グループ3グループと書き、まずはじゃんけんで配属を平等に10人ほどに分け、上位3人が一つ上の、下位3人がひとつ下のグループで次の日に回す、というルールだった。このゲーム自体が運に左右されるということもあり、「誰もが最高位のグループに入れるという可能性を孕んでいる」ことから誰もが燃えたと同時に、(運ゲーから逃げたらダサい)という子供特有の高プライドが園児全員をこの坊主めくりリーグ、通称Bリーグの虜になった。
当時はみなJリーグくらいしか知らなかったため、誰もこの呼び方のスポーツリーグは既に存在するという疑問は持たなかった。
私は一度だけ試合が早く終わり、一度もいたことのなかった1グループの試合を見たことがある。今思うとこれは良くないことだしガキの癖して生意気だったが、属しているグループによって何となくのヒエラルキーが存在していた。大きなルールの一つに、毎月のグループの名前を決められるのは1グループだけというものがあった。だから1グループは覚えていないが「常勝軍団」みたいなかっこいい名前だったし、4グループはダサい名前だった。よく覚えているので、「沼」というグループ名があった。カイジか。とはいえ幼稚園児の得る権力など可愛いもので、言い争ったときに「なんだ沼のくせに」と言って相手が何も言えず黙るくらいのものだった。それにそれ以上に増長する子供には先生が厳しく注意していたので、いじめや雑用にまで発展することはなかった。
そんな1グループの試合はやはり他のグループ以上に白熱していた。1グループなら負けなければいいのだから、だれもが絶対に坊主を引きたくなくてハラハラしていた。
試合も終盤に差し掛かったころ、誰かが蝉丸の札を引いた。その時隣にいたAという女の子は、「蝉丸は坊主である」という物言いをつけた。それまでに蝉丸の札がどんな扱いだったかはよく覚えていないが、恐らく男札だったと思う。何しろ、絵の蝉丸は頭巾をかぶっていて、ハゲかどうかの見分けがつかないのである。
Aはその頃から利発そうな子供で、中学まで同じだったが高校も良いところに行ったと聞いている。恐らく物知りなAはこの事をどこかで知って、こういう時の切り札としてとっておいたのであろう。
当然引いた子を筆頭にみんなは男札だと猛反論。引いた子にとってはリーグ降格か残留か懸かっている。だがAは微塵も引かない。埒が明かなくなり先生に質問をすると、先生は気まずそうに「蝉丸は坊主ではないかなぁ...」と言った。園児はそれみろの大合唱。Aは黙ってしまった。Aは次の日グループ2に降格していた。自分の順位を上げて降格しないための切り札として使った物言いにはいささか擁護できないが、「可哀想」と思い黙って傍観していた当時の自分も、先生の言うことを真実として疑うことなく受け入れたという点で愚かだったと思う。
今ふと蝉丸事件を思い出し、調べもしなかった事の真相を少し漁ってみた。
蝉丸は様々な歴史が不詳(琵琶法師という説が有力)で、今でも僧であるかは不明であるという。中には蝉丸だけトランプでいうジョーカー的な特別枠である「蝉丸ルール」が存在する地域もあるという。「手塚ゾーン」みたいな名前しやがって。どちらかというと「キングクルール」か。
先生は本当にこの真実を知っていたのだろうか?知っていたら蝉丸は職業が不明でどちらかというと琵琶法師である可能性が高いことや、手塚ゾーンのことだって教えてAのフォローにも回ってあげられたはずであろう。恐らくAはこの一件で他人に異議を唱えることに一歩たじろぐようになってしまったのではないかと思い、傍観していた自分もその一助を担ってしまったことに心が痛む。
とにかく、「歴史的に不詳である」というだけでこれだけ百人一首で異彩を放つことができるのなら、私も誰にも素性を明かさずに生きていこうと思う。
見出し画像はnothihodo/作菓さまの画像をみんなのフォトギャラリーからお借りしました。ありがとうございました。