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【エッセイ】 「チビ」

 僕が小学1年生の頃、S君とF君と僕の3人で登校していた。親同士が小学1年生を単独で登校させることを危惧していたことや、互いが近所であることが重なった結果だろうと言える。話の内容はよく覚えていないが、登校中の20分間を飽きずに過ごすことができたのは紛れもない事実である。

 しかし、小学生1年生の1学期が終わる時、S君が引っ越した。引っ越すとはいえアパートから一軒家に変わるという目的のもので、どこかの学校への転校はしなかった。しかし、それでもとても近所とはいえない地域へ引っ越したため、僕とF君の2人でしばらくの数年間を登校することになる。

 S君は僕の小中学校における最大の友人と言っても過言ではなかったが、その一方でF君と僕の仲は良くも悪くもない。F君は当時周りに比べて極端に背が低く、子供の頃に臓器の手術をしたとかいう話を聞いたことがある。一緒のクラスになることもあまりなかったため、登校している間だけ楽しく話す仲だった。

 中学生になると、同じ中学校にあがっても、部活の朝練や委員会といった朝の用事があり、口裏を合わせたように別々に登校するようになるのだが、そんな中で少しずつ話す機会も減り、ほとんど話さなくなった。

 僕の根底には、彼に対する漠然とした苦手意識があったのだと思う。それがなぜかはわからない。「何となく苦手な人」のうちの一人だった。相手にとっての僕もそうだったのだろう。彼の僕に対する見え隠れした敵意のようなものを感じられることがしばしばあった。仮に僕も彼と同じことをしていたのだとしたら、申し訳なく思う。

 だが、僕はそんなF君との登校は毎日の楽しみだった。犬のチビがいたからである。

 チビは僕が1年生の頃には老犬と呼ばれ始める頃の歳で、名前の割に大柄だった。オスで雑種のチビは、F君と6歳離れた兄が小学生だった頃に捨てられていたのを拾ったのだという。その当時はとても小さかったことが名前の由来だろう。

 家で犬も猫も飼っていない僕にとっては、家の前の大きな犬小屋の前で紐に繋がれたチビはとてももの珍しい存在だった。僕の家とF君の家の通過点にラッキーという黒い飼い犬がいたが、すれ違う度に吠えられるので怖かった。しかし、ラッキーと違ってチビは誰に対しても吠えない犬なのである。

 番犬としてどうなのかは別として、ここまで穏やかで優しい犬を、僕は後にも先にも見たことがない。今思えば、ゴールデンレトリバーのような、人に優しい性質を持つ犬種の血が入っていたのではないかと思う。だとしたら、あそこまで大きく成長するのも納得がいく。

 そんなチビと初めて出会った時、恐る恐る背中を撫でた。初めて触った犬だった。チビは嫌がることなく、黒いビー玉のような、潤んだ優しい目で僕を見つめてくれた。

 それから毎日、F君が登校の支度ができるのを家の前で待ってる間、チビの頭を撫でたり、背中を撫でたりするのが日課になった。

 そんなチビとの思い出で、印象に残っているものが2つある。

 チビは、人間に対して吠えることは絶対になかったが、散歩中の通りすがった犬に対してよく吠えていた。老犬として、様々な忠告をしていたのだろうか。互いに紐で繋がれていることから、喧嘩にはならなかった。滅多に吠えないチビが、他の犬に対してウォンウォンと低く吠える姿が、子供心に鮮烈に脳裏に刻まれていた。

 そしてもう一つは、虫と遊んでいたことである。帰り道、F君の家でチビを見に来たとき(おばさんには許可を貰っていた)、チビの顎がガクガクと揺れていた。そのチビのいささか楽しげに口を開け閉じする様子は、今までの落ち着いた雰囲気のチビからは見て取れない異常性を孕んでいた。5,6回歯を打ち付けた後に、ペッと吐き出したのはそこそこの大きさのダニだった。コンクリートの上で弱っているダニを見つめるチビ。再びダニを口に咥えると、カチカチと顎を上下にして打ち付けた。それを5回ほど繰り返すと、飽きたのか興味なさげに犬小屋に戻り、その戻る後ろ足でダニを踏んづけてしまい、遂にダニは絶命してペシャンコになっていた。おばさんは、「遊んでいるんだね」と言っていた。あの光景も、忘れられない一景である。

 小中学何年生の頃だったかも忘れたが、ある日F君の家に行くと、犬小屋だけがあって、チビがいなかった。F君の祖母が出てきて、チビの所在を尋ねると、「チビね、死んじゃった」と言った。それに次ぐ言葉は覚えていない。足繁くチビのもとを通う僕を褒めてくれていた気もするし、ペットのための霊園の話をしていた気もする。

 子供ながら初めて直面する生き物の死に衝撃的ではありながらも、そこまで悲しむことではなかったと思う。チビは初めて出会った時から既に老犬であり、犬の平均寿命を超えた、むしろ大往生とさえ呼べる長寿で人生の幕を閉じたため、自分なりに既に覚悟はできていた。まれに散歩でいないことがあったが、その際にもチビが散歩中かどうか聞くのにドキドキしていたものだ。死に目に会えなかったのだけが悔やまれるが。しばらくして、犬小屋は無くなって、大きな空白だけが残った。犬小屋の下ってこうなっていたんだ、と感心した。

 「犬」をイメージするとき、今でも真っ先にチビの姿が浮かぶ。それ程にまで、僕にとってのチビは大きな存在だった。今の僕の大きな夢といえば、一人暮らしをしてチビのような大きくて優しい犬を家族に迎え入れることである。

 昨晩、コンビニへ行くためにF君の家の前を久々に通り過ぎた。中学校を卒業して以来、F君とは連絡を取っていない。どの高校に行ったのかは知っているが、今どんな職業に就いているのかは知らない。この家にいるのかどうかも知らない。
 耐えきれず玄関に目をやると、目立つほどに不自然でがらんどうな砂利や礫の空間の上に、茶色のずんぐりむっくりとした犬が、いびきも立てずに静かに眠っている幻影が浮かんでならない。

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