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サロメ

昨日の夜、23時からNHK総合テレビで放映されている韓流歴史ドラマの「不滅の恋人」を見ようと思って楽しみにしていたら、ドバイで開催されているパラ陸上世界選手権2019の放送があって、放送延期になっていた。仕方がないので、本を読むことにする。「歴史を変えた「旅」と「病」――20世紀を動かした偉人たちの意外な真実」は昨日のうちに読んでしまったし、その次に読む予定にしていた桜沢エリカの「女を磨く大人の恋愛ゼミナール」も昨日のうちに赤ワインの「SIEMPRE」を飲みながら読み終わっていたので、とりあえず読み切ってしまう文庫本の最後のオスカー・ワイルドの「サロメ・ウィンダミア卿夫人の扇」を読み始める。
「サロメ」は、新約聖書を元にした内容としたオスカー・ワイルドの戯曲である。1891年にフランス語で書かれ、1893年にパリで出版された。1894年に出版された英訳版ではオーブリー・ビアズリーの挿画が使用されている。
ストーリーは以下のようなものだ。
ユダヤの王エロドは、自分の兄である前王を殺し妃を奪い今の座に就いた。妃の娘である王女サロメに魅せられて、いやらしい目を彼女に向ける。その視線に堪えられなくなったサロメは、宴の席をはずれて、預言者ヨカナーン(洗礼者ヨハネ)が閉じ込められている井戸に向かう。預言者は不吉な言葉を喚き散らして、妃から嫌がられている。預言者との接触は王により禁じられているのだが、サロメは色仕掛けで見張り番であるシリアの青年に禁を破らせて、預言者を見てしまう。そして彼に恋をするのだが、預言者のほうは彼女の忌まわしい生い立ちをなじるばかりである。愛を拒まれたサロメはヨカナーンに口づけすると誓う。
エロドはサロメにしつこくダンスをしろと要求し、何でも好きなものをほうびにとらせると約束する。サロメはこれに応じて7つのヴェールの踊りを踊り、返礼としてエロドにヨカナーンの首を所望する。預言者の力を恐れて断るエロドだが、サロメは聞き入れない。あきらめたエロドはヨカナーンの首をサロメにとらせる。銀の皿にのって運ばれてきたヨカナーンの唇にサロメが口づけし、恋を語る。これを見たエロドはサロメを殺させる。
日本で最初にこの戯曲でサロメ役を演じたのは松井須磨子である。1913年(大正2年)12月、島村抱月の芸術座による帝国劇場での上演だった。1960年(昭和35年)4月と、1971年(昭和46年)2月には、三島由紀夫の演出(1971年 は三島の死により和久田誠男の演出補)で上演されている。
サロメを描いた絵画では、オーブリー・ビアズリーの挿画が有名だが、私は個人的にはフランスの象徴主義の画家であるギュスターヴ・モローが描いたサロメが好きだ。ギュスターヴ・モロー(1826~1898)は、神話や聖書をテーマにした魅惑的な女性像で知られていて、なかでも、新約聖書などに伝わる「サロメ」を描いた作品は、世紀末ファム・ファタル(宿命の女性)のイメージ形成に影響を与えた。
そういえば、2019年7月13日(土)~9月23日(月・祝)の間、あべのハルカス美術館で「ギュスターヴ・モロー展」が開催されていたが、残念ながら見に行けなかった。現在は「ラファエル前派の軌跡展」をやっている。どちらもYから見に行こうと誘われているのだが、あべのハルカス美術館は公立の美術館ではないので、障害者手帳を持っていてもタダにはならない。せいぜい一般1500円の半額になるくらいだ。
ワインは夕方に飲み干していたので、酒なしでの読書になったが、ちょっと読んでは眠ったりを繰り返して、なかなか先に進めない。最近、このパターンが多い。
最後に目が覚めたのが朝の5時半。ベッドから起きだしてパソコンのデスクに移り、読書を中断してメールのチェックやブログの更新をやる。ブログはいま、ベゲタミンAを大量に復員して救急車で運ばれ、4回目の精神病院への入院のところと、大阪に帰ってきて1か月ほど大阪ダルクに通所していたところを公開している。4回目の精神病院への入院では初日に隣の個室のオヤジが幻覚で暴れて身体拘束されたので、ユーチューブで精神病院における身体拘束に関する適当な動画を検索したのだが、なかなかいい動画が見つからない。ダルクに関しても同じことだった。ただ、ブログに参考動画を添付し始めてアクセス数が増えているので、できれば動画は添付したい。
ブログのアップが終わって、しばらく30代女性の婚活ブログを読んでいたのだが、あまりにもかけ離れた世界の話ばっかりで、いい加減飽きてきて、ブックマークしていたものの、全部削除してしまった。どうやら婚活の世界では30代で年収1000万以上が良い条件らしい。私とは世界が違う。年収1000万円以上稼いでいる人の世代別の割合は、20代では0.2%、30代で1.5%である。このうち、結婚相談書などで婚活している男性の割合はいったい何%なのか?たぶん絶望的な数字だろう。
9時半にヘルパーさんが来て、カンパチのアラと大根、キノコの煮つけを作ってもらって、昼にそれを食べた後、科学的社会主義の勉強会に参加した。教科書はリードリヒ・エンゲルスの「空想から科学へ」である。この著作は1880年に社会主義への入門書としてエンゲルスが自著「反デューリング論」を抜粋してつくったパンフレットが元になっていて、正式名称は「空想から科学への社会主義の発展(Die Entwicklung des Sozialismus von der Utopie zur Wissenschaft)」という。3章構成になっていて、第1回目だったので、ヨーロッパの歴史と、エンゲルスが「空想的社会主義者」と呼んだ、イギリスのロバート・オーウェン、フランスのサン=シモン、シャルル・フーリエの理論と実践を描く第1章の初めの部分を軽く読み合わせした。
なぜ今、社会主義なのか。例えば冷戦期、アメリカは社会主義・共産主義と対峙する資本主義圏の盟主としての地位を確立していた。ところが現在、そのアメリカで、社会主義という言葉に大きな注目が集まっているのである。トランプ大統領は、2月に行った一般教書演説で、「アメリカを社会主義の国にしてはならない、そして、アメリカは決して社会主義の国になる事はない」と強調したが、今日のアメリカでは、社会主義という言葉に対するとらえ方が以前とは大きく変化している。1940年代、アメリカで社会主義と言えば、様々な企業等を国家が管理する考え方だとされたが、今日では、社会主義という言葉は、政府による管理や統制よりも、平等と結びつけて理解されるようになっている。
アメリカで近年、社会主義と言う言葉に好意的なイメージを抱かせるきっかけを作ったのは、2016年大統領選挙で民主党候補となることを目指していたバーニー・サンダースである。従来型権力の象徴的存在であったヒラリー・クリントンに対抗し、革命を訴える自称民主社会主義者であるサンダースの主張は、とりわけ若者の心をとらえ、2018年の中間選挙では、サンダースが連邦議会上院で三選を達成したのみならず、ニューヨーク州でアレクサンドリア・オカシオ・コルテス、ミシガン州でラシダ・タリーブら社会主義者を称する人物が当選している。彼らの当選を可能にした社会的背景としては、近年のアメリカにみられる大きな経済格差がある。アメリカの富の大半が上位1%の富裕層に独占されていると批判し、我々は99%だとのスローガンを掲げて富の偏在を批判したウォール街選挙運動と連続性が見いだせる。いま、社会主義が熱い。
勉強会が終わって、業務スーパーで赤ワインの「SIEMPRE」を買って帰ると、Yから電話があって、今日に予定していた「閉鎖病棟」という映画を見に行くのを明日に変更したいとのこと。私としても明日のほうが都合がいい。16時から訪問看護師さんが来たのだが、それが終わると、ワインを飲みながらオスカー・ワイルドの「サロメ・ウィンダミア卿夫人の扇」の続きを読むことにした。

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