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アルコール依存症の進行

現在、午前1時50分。烏龍茶を飲みながら日記を書いている。アルコールを摂取したいとは全く思わない。お茶だけでいい。今日は何について書こうかと思案しながら夜食のラーメンを食べていたら、依存症、特にアルコール依存症について考えたくなった。
そこで、まず、アルコール薬物問題全国市民協会(ASK)のアルコール依存症の進行プロセスを見てみよう。人によって違いはあるが、アルコール依存症は下記のように進んでいく。
*スタート地点; 習慣飲酒が始まる 機会あるごとに飲む。酒に強くなり(耐性の形成)、酒量が増加する。気分の高揚を求めて飲む。
*依存症との境界線; 精神依存の形成 ほとんど毎日飲む。酒がないと物足りなく感じる。緊張をほぐすのに酒を必要とする。酒量が増え、ほろ酔い程度では飲んだ気がしない。ブラックアウト(記憶の欠落)が起きる。生活の中で、飲むことが次第に優先になる。
*依存症初期: 身体依存の形成 酒が切れてくると、寝汗・微熱・悪寒・下痢・不眠などの軽い離脱症状が出現し始めるが、自覚しないことが多い(風邪や体調不良と思う)。飲む時間が待ちきれず、おちつかない。イライラする。健康診断で酒量を少なめに申告する。家族が酒をひかえるよう注意し始める。酒が原因の問題(病気やケガ、遅刻や欠勤、不注意や判断ミス、飲酒運転検挙など)が起きはじめ、節酒を試みる。
*依存症中期: トラブルが表面化 二日酔いの朝の軽い手のふるえや恐怖感など、酒が切れると出る離脱症状を治すために、迎え酒をするようになる。酒が原因の問題(病気やケガ、遅刻や欠勤、不注意や判断ミス、飲酒運転での検挙など)が繰り返される。家庭内のトラブルが多くなる。自分の酒に後ろめたさを感じ、攻撃的になる。飲むためにウソをついたり隠れ飲みをしたりする。職場では、上司からの注意・警告が始まる。
*依存症後期: 人生の破綻 コントロールしてうまく飲もうとするが、失敗する。一人酒を好むようになる。食事をきちんととらない。アルコールが切れるとうつ状態や不安におそわれるため、自分を保つために飲まざるをえない。連続飲酒発作、幻覚(離脱症状)、肝臓その他の疾患の悪化により、仕事や日常生活が困難になる。家族や仕事、社会的信用を失い、最後は死に至る。
私はこの全ての道を歩んできた。例えば、スタート地点は浪人時代だっただろう。受験のプレッシャーから逃げたくて毎晩のようにジンやウォッカを1本空けていた。最初は当時、倉橋由美子の小説を読んでいて、その主人公たちが高級ワインを飲んでいたので私も感化されてワインを飲んでいた。一番好きだったのはフランスのロワール川河口付近で作られるAOCワインであるミュスカデである。このワインの特徴としては、淡いマスカットに似た香りを持つ、フレッシュでフルーティーな辛口の白ワインで、強い酸味がある。AOCワインの中では、価格が安く、千円前後で売られているものもある。
しかし、耐性が形成されるとワイン1本では酔えなくなった。そこで登場したのがジンやウォッカ、そして当時流行っていた電気ブランである。電気ブランは、東京都台東区浅草にある神谷バーの創業者、神谷伝兵衛が作ったアルコール飲料だ。当時電気が珍しかった明治時代に誕生した、ブランデーベースのカクテルである。その頃は最新のものに冠する名称として「電気…」が流行しており、それにブランデーの「ブラン」を合わせたのが名前の由来である。その度数は当時45度と高く、口の中がしびれる状態と、電気でしびれるイメージとが一致していたため、ハイカラな飲み物として人気を博した。ただし発売元の合同酒精では、電気ブランという名称の由来は「電気との言葉がひどくモダンで新鮮に響いたから」とし、「口の中が痺れるため」という説は否定している。ブランデー、ジン、ワイン、キュラソー、そして薬草が配合されている。材料の詳細、配合の割合は今も秘密にされている。
現実逃避の道具としてはアルコールが一番手っ取り早かったのだ。私の場合は、芸術系の大学志望だったので学科試験以外に実技試験がある。学科試験の勉強はそれなりに頭がクリアでないと出来ないが、デッサンなどの実技試験の練習は多少酔っ払っていても可能だ。私の場合は気分の高揚を求めて飲んでいたわけではなく、浪人生という根無し草的な自分の置かれた状況を一瞬でも忘れさせてくれる効用を求めていたのである。
スタート地点と依存症との境界線はほぼ同じだった。毎日浴びるように飲んでいたし、毎日ブラックアウトして泥のように眠っていた。ほろ酔い程度では飲んだ気がしない。夜は泥酔するまで飲んで、昼間も予備校の授業をサボって大阪の街を彷徨し、よく大阪城公園で一人酒を煽っていた。ただ、その当時は、酒が道具であっても、酒が目的ではなかったことは確かで、まだアルコール依存症にはなっておらず、ただの大酒飲みだったのだろう。しかしこの生活パターンはその後の人生にいつまでも付き纏うようになった。
依存症初期と依存症中期は同時にやってきた。サラリーマン時代に過労とストレス、プレッシャーの現実から逃避しようと酒浸りの毎日になり、簡単に身体依存が形成された。仕事で朝まで残業すると、夏場などでは夜明け前の、外が明るくなり始めた頃に帰宅していたので昼と夜の区別がつかない。結果的に朝から飲む習慣ができて、酒が原因での遅刻欠勤をするようになり、酒を飲むために嘘をついて打ち合わせと称して自宅に戻っていた。
依存症後期は時間の問題である。依存症初期や依存症中期の段階で医療機関につながっていれば或いは助かるかもしれない。しかし大半の人は生活を破綻させて社会の表舞台からの降板を余儀なくされる。後はその人生を受け入れるかどうかだ。私は受け入れた。
閑話休題。午前4時になったので仕事へ向かう。帰りにはもちろん「バーリアル(BARREAL)糖質50%オフ」500ml2缶を買うのは言うまでもない。ただ、今日の昼過ぎに実家からの荷物が届くことになっているので、いつもの薬フルセットは飲むわけにはいかなかったが・・・
自宅に帰って、レンドルミン0.25mg2錠、ロドピン50mg1錠、ピレチア25mg1錠を服用し、「バーリアル(BARREAL)糖質50%オフ」を飲みながら朝のニュースを見ていたらそのうちに眠ってしまった。それが午前5時半頃だ。
起きてみると午前9時過ぎだった。まずは寝過ごさずに安心する。烏龍茶を飲みながらいつものようにHotmailのメールとFacebookをチェックし、チベットや大阪関係、CNNとロイターのニュースをチェックしてリンクさせるものはリンクさせたりしていると、なんだかんだと昼前になった。
その後、今朝の残りの「バーリアル(BARREAL)糖質50%オフ」500ml缶と、その後に買い足した「SUPER PRIME 糖質50%オフ」500ml2本を飲みながらFacebookの友達の整理をしていたら「Ms」に行く時間となった。
「Ms」では先日のシュールストレミング試食会の想い出話やあれこれ会話が弾み、いつしか焼酎ロックを7杯も飲んでいた。それとアテのもやしの肉味噌炒めでしめて1650円。まあ、今日は飲んだほうだ。
最初は適度に飲んで、明日早朝の仕事の前にちょっと仮眠しておこうかと思ったのだが、ついつい長居してしまった。店を出たのが午後22時前。これからじゃ眠れない。眠ろうと思えば睡眠薬を飲んだら良いのだが、それでは仕事の時間に起きられない。心の中で葛藤し、結局寝ないで仕事まで起きていることにした。飲んだ割には酔っておらず、まだ飲み足りない気持ちがあって、帰りに「SUPER PRIME 糖質50%オフ」500mlを2缶位買っていこうと思ったのだが止めておいた。魔の連続飲酒になってしまう。それは避けよう。

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