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ナチスの前身と731部隊

いま、午前3時を回ったところである。「バーリアル(BARREAL)糖質50%オフ」を飲みながら昨日の日記の続きを快調に書いていたらこんな時間になってしまった。毎日の新聞配達の仕事が始まるまであと50分。さて、何をしようか?今日は始まったばかりである。「バーリアル(BARREAL)糖質50%オフ」が無くなってしまったので、とりあえず烏龍茶を飲みながらネットサーフィンをした。興味があったのは「ナチスと秘密結社「ナチ党」のルーツ~前身組織の実態~」と「関東軍防疫給水部本部(通称731部隊)」である・
「ナチスと秘密結社「ナチ党」のルーツ~前身組織の実態~」というサイトによると、ナチス前史を溯って行くと、19世紀末ウィーンに芽生えた2つの宗教的サークル(秘密結社)、ランツが創設した「新テンプル騎士団」と、リストが創設した「リスト協会」に行き着く。 そしてこの2つの黒い流れは、「帝国ハンマー同盟」の姉妹地下組織「ゲルマン教団」を媒介にして合流し、第一次世界大戦後のミュンヘンにおいてナチスの思想的母体となった「トゥーレ協会」を生み出す。 そしてこの「トゥーレ協会」が生み出した右翼政党が「国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)」であった。
私は以前、ナチスのハインリッヒ・ヒムラーが派遣した、エルンスト・シェーファーのチベット使節団とナチのカルト性について、海外のウェブサイトの翻訳をもとにした本を書いたことがある。その時に「トゥーレ協会」や「ヴリル協会」についても調べたのだが、残念ながら超人妄想を含む人種主義色の強い雑誌『オスタラ』に関する資料が見つからなかった。1909年、若きアドルフ・ヒトラーはウィーンに出て、雑誌『オスタラ』に出会い、その年のうちにバックナンバーを求めてランツを訪ねたといわれている。おそらく後年のヒトラーに多大な影響を与えたのはこの雑誌『オスタラ』であろう。私はこれをぜひ読んでみたいと思った。それは人種差別や民族差別の観点からではなく、カルトがどのように出来上がっていったかに興味があるからだ。ただ、この日記は飲酒に関するテーマが主体なので、これ以上ナチスに踏み込むのは止めておこう。それはまた別の機会に調査して本に纏めるつもりである。
「関東軍防疫給水部本部(通称731部隊)」についてはご存知の方も多いと思う。かつて1983年、森村誠一が『悪魔の飽食 新版』を著し、一躍有名になったからである。しかし、本部隊の活動実態については、情報が不足し、長い間不明のままであった。それは、当時から高い機密性が保たれていたこと、部隊の解散に当たって厳しいかん口令が敷かれたこと、終戦後のアメリカ軍との裏取引により関係者の多くが研究成果を引き渡す事を条件に罪が不問に付されたこと、および、関係者の多くが戦後医学界の中枢を構成したことなどである。戦後、ハバロフスク裁判で、本部隊がペスト・コレラ・性病などの生物兵器、腐食性の毒ガスを用いた化学兵器の研究に携わっていた特別の部隊であったと認定され、近年になり米国の公文書が機密指定解除されて研究されたが、非人道的な実験が行われた記録はまだ発見されていない。
その一方で、731部隊は生物兵器の開発などの目的のため、本人の同意に基づかない不当な人体実験も行われていたとする見解がある。森村誠一は『悪魔の飽食』などの本で、731部隊は捕らえた多くの朝鮮人、中国人、モンゴル人、アメリカ人、ロシア人や捕虜等をマルタ(丸太)と呼称し、生体実験に供したと言われている。終戦後にソ連・中国が行った調査では、犠牲者数は3000人以上とされていた。これはハバロフスク戦犯法廷での川島清軍医少将(731部隊第4部長)の証言に基づく数値である。ただし、ハバロフスクの裁判自体は戦争指導者の石井四郎中将が無罪放免となっているため証言としては疑問である。犠牲者の人数についてはもっと少ないとする者もあり、解剖班に関わったとする胡桃沢正邦技手は多くても700~800人とし、別に年に100人程度で総数1000人未満という推定もある。終戦時には、生存していた40~50人の「マルタ」が証拠隠滅のために殺害されたという。陸軍軍医学校と現在の厚生労働省戸山研究庁舎、国立感染症研究所、独立行政法人国立健康・栄養研究所との関係。第9陸軍技術研究所(通称登戸研究所)の存在など、とかく謎の多い部隊なので機会があればいずれ真相を究明したいものである。
さて、やっと午前4時になったので新聞配達に出かける。今日からは一部別地域の4件も配らなければならないので、合計で27部になった。それだけ時間もかかるだろうと思っていたら、思ったよりも早く配り終えることができた。終わった時間は4時32分だ。帰りにはいつものようにミニストップに立ち寄って「バーリアル(BARREAL)糖質50%オフ」500ml缶2本を買って帰る。自宅に戻ってそれを飲みながらいつもの薬を飲んで、フレッツ光のビデオ・オン・デマンドのU-NEXTで台湾ドラマの「進めキラメキ女子」を見ていたらいつの間にか眠っていた。
目が覚めたら午後の13時過ぎだった。今日は15時10分に歯科の予約があるので、それまでは、昨日の残りの「バーリアル(BARREAL)糖質50%オフ」を飲みながらPCでネットをやっていた。歯医者に行くのにビールを飲んでいくのはまずいだろうという考えはその時にはなかった。いつもの習慣である。
歯科の診療が終わるといつものように「Ms」に行く。麦焼酎のロック3杯ともやしの肉味噌炒めを食べて850円。今日もまた昨日のように夜遅くもう一度来ようと思って午後18時半には店を出た。まだ全然酔っていない。
明日は実家から荷物が届くので、仕事が終わってからゆっくり眠れないと思って、レンドルミン0.25mg2錠、ロドピン50mg1錠、ピレチア25mg1錠を飲んで仮眠したら予想外に眠りすぎてしまった。目が覚めたときは午前0時を回っていた。

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