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観葉植物と「あやしいチベット交遊記」

起きたのは7時過ぎだった。昨日は5鉢くらいの観葉植物が枯れてきていたので、ちょっと遠いが布施のコーナンに多年草と肥料を買いに行った。買ったのはジャノメエリカ2鉢とホンザマーガレット、ピンクインフィニティなどである。断酒3日目。
ジャノメエリカとはツツジ科の植物の1種で、やや背が高くなる低木で、ピンクの壺型の花を多数つける.日本ではエリカ属で一番普及している。この属では比較的大きくなるもので、2mほどの低木になる。木質は柔らかで折れやすい。非常に多く枝を分け、葉を3枚ずつ輪生につける。葉は線形で毛がなく、長さは2-6mmで冬には褐色を帯びる。小枝の先端に3個ずつ花を着け。花冠は釣り鐘型で長さ4mm、花冠の色は桃色で、花糸は長く、葯は黒紫色をしている。和名の意味は蛇の目エリカで、花の真ん中に黒い葯がよく目立つことによる。 別名をクロシベエリカ、あるいはアフリカエリカともいう。英語名としてはchanneled heath の他に、Black-anthered Heath、Black-eyed Heathもある。水やりと肥料は、土が乾いていたら水をやる。ジャノメエリカは加湿を嫌い、水をやりすぎると根が腐って枯れてしまうのだ。日光を好むのだが、真夏の暑さに若干弱く、暖地では庭植えしていると夏越しが難しい。暖地は鉢植えにしておいて夏は半日陰や日陰へと移動させないといけない。うちに4鉢あるパキラとは反対の育て方をしないといけないかもしれない。
ボンザマーガレットはキク科のアルギランセマム属の常緑多年草で、日光を好む。直射日光が半日以上当たる風通しの良い戸外で管理しないといけなくて、日当たりの悪い場所や日陰で管理すると日陰になってしまうような場所や、日当たりが悪い場所で育ててしまうと、生育がわるくなってボンザマーガレットの醍醐味である花つきが、悪くなってしまう。また、環境により花色や花形が変化することがあり、夏の高温多湿に弱いので、夏場は半日陰の場所で管理しないといけない。梅雨前に枯れた下葉などを取り除くと夏越ししやすくなるい非耐寒性多年草である。
ピンクインフィニティは、インフィニティローズという四季咲き性のあるミニバラのうちでピンク色の花を咲かせるバラである。インフィニティローズもミニバラの例にもれず、流通しているのは挿し木苗なので、同じ鉢に複数本植えられている。そのまま育てていると、地下部でし烈な争いがおこり、株同士がお互いを弱らせて、あれよあれよという間に弱ってくるので、花が終わって、真夏以外の季節であれば、株分けをして一鉢に一株ずつにして育てていくようにしなければならない。バラは冬の休眠期以外では根をいじられるのを嫌うので、鉢を外したら、なるべく根鉢を崩さないようにしながら、手で一本ずつになるようにほぐしていく。
Googleで母校のニュースを調べると、昨日、高校の卒業式があったらしい。北海道内の高校のトップを切って卒業式である。在校生や保護者の拍手に包まれる中、卒業生はそれぞれの夢を胸に思い出の学びやを巣立ったという。卒業生141人のうち、大学受験による欠席者を除く91人がスーツや羽織はかまを着て出席した。函館市内には、うちの母校の卒業式御用達の貸衣装屋があって、私のころは神主の格好など、突飛な格好で卒業式に望むもんおが多かったが、最近は大人しくなっているらしい。卒業生は1人ずつ名前を呼ばれ、壇上でロドリゴ・テレビニョ校長から卒業証書を受け取った。卒業証書を受け取った時のパフォーマンスやクラスごとのパフォーマンスもなくなったようだ。
読書の方はペマ・ギャルポの「日本人が知らなかったチベットの真実」を一気に読み終えて、長田幸康の「あやしいチベット交遊記」を読み始めた。
著者の長田幸康は、チベットにハマって生きる在野チベット研究家・ライターで、「バックパッカーの神様」と慕われている人である。2001年、アムネスティ東京事務所でチベットチームをやっていた細貝さんという女性に誘われて忘年会に行った時に長田氏とはご一緒したことがある。当時は「風の旅行社」のチベット現地ガイドとしてシーズン(主に夏)にはチベットに滞在して日本人旅行者のガイドを何年もしていたと思うが、最近ではどうなのだろう?2000年というのはチベットブームだった時期である。アムネスティが拷問禁止キャンペーンでチベット人の拷問被害者のスピーキングツアーをやっていたり、メールングリストの「リンカ」でも盛んに情報のやり取りをしていた。1999年にチベッタン・フリーダムコンサートが東京でも行われ、それを機にSFT(スチューデント・フォー・フリー・チベット)日本も結成されて、主に東京であるがチベットを知ろうというイベントが定期的に開催されていた時期でもある。それから数年、私が大阪に帰ってきたということもあるが、チベット関係のイベントにも行くことなく、メーリングリストの「リンカ」の活動も下火になっていた。
再びチベットが注目されるきっかけになったのは2008年の北京オリンピックを控えたチベットでの相次ぐ抗議活動やデモがあってからである。ただ、以前のチベット支援が若者が中心で、思想的にもリベラルだったことに比べ、2008年以降のチベット支援はいささか反中の臭いがしてならない。チベットがいかに過酷な弾圧され、拷問もひどく、恣意的な逮捕が相次ぎ、チベット人が殺されていることを強調しすぎているような感じがする。中心になっているのは反中、反共の人々だ。SFTも一度解散して、再結成されてからはグループのメンバーも思想的背景も違ってきてしまった。なので、私は今は政治的なチベット支援活動やイベントからも遠ざかっている。東京では今年もSFT主催のチベットピースマーチが3月14日に行われるらしいが、大阪はどうなんだろう?あったとしても参加はしないが・・・

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