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9.東京都港区六本木

全国から生徒がやってきて、寮で一緒に生活するとなると、やはり最初に聞きたいのはそれぞれの出身地だ。前回、初対面の寮生たちの会話の、とりあえずの取っ掛かりとして、「どこから来たの?」と聞き合ったことはすでに書いたが、大抵は、北海道内各地や東北でも青森、岩手、秋田、山形あたりの生徒が多い。彼らは、どちらかと言うと道内または近県なので、お互い馴染のある土地なのか、どうということはなかった(生まれて一度も北海道から出たことのないヤツもいたから一概には言えないが・・・)。しかし、関東や関西から来た生徒となると珍しかったのか、彼らの興味の対象となった。
関西人となるとほとんど異星人扱いだ。
なかでも小柄で少し内向的だったIは東京出身ということもあって、本人が望んだ事ではないのだろうが、一躍時の人となり、寮内を騒然とさせた。
まず、会話の出だしは、お決まりの
「どこから来たの?」
である。ここまでは、誰もが口にする言葉だ。問題はない。すると、Iはクールに、
「東京から。」
と、答えた。東京出身者も何人かいたのでそう珍しくはなかったのだが、
「東京のどこ?」
と、突っこんだ時、事件は起こった。
「六本木。」
そう、あの東京都港区六本木である。
想像して頂きたい。道内や東北でも、札幌や仙台はともかくとして、あとは田舎から来ているヤツが圧倒的に多い。中には○○郡XX大字○○字XXなんてヤツもいるのである。都会に憧れる15歳の田舎の少年達にとって、「六本木」という地名は特別大きな意味を持つ。田舎モンにとって「六本木」とは、大都会東京の中でもさらにアーバンでカッコいい街なのである。まさに大都会of大都会だ。一度は巡礼しなければ気がすまない聖地メッカやエルサレムに近いものがある。その聖地からヤツはやってきたというではないか。入寮式当日の夜の大部屋はその件で大騒ぎになった。
「なに、東京の六本木から来ただと!!!」
という言葉が寮内を飛び交った。Iのまわりに人だかりが出来たのは言うまでもない。I本人はそれほどの騒ぎが起こるとは予想していなかっただろう。しかし、ちょっとは自慢したい気持ちはあったのかもしれない。まわりの騒ぎを気持ち良さそうに受け止めていた。
こうしてヒーローに祭り上げられたIは、最初のうちは得意げだった。
しかし、運命とは残酷である。Iの評判は寮生活が続くうちに無残にも失墜していった。
問題は「風呂」である。
寮というところはホテルではない。それぞれの個室があるわけでもなく、風呂も一箇所で3学年共同だ。銭湯をイメージしてもらえばいい。内気なIは銭湯に入った経験がなかったのだろう。どうも風呂というのは自分ひとりで入るものだと考えていたところがあった。そんなIなので風呂にはなかなか入らなかった。おそらく恥ずかしかったのだろう。ほとんど風呂に入らないIは次第に周囲に異臭を漂わせるようになっていった。そうなればもうイメージはがた落ちである。「六本木」という錦の御旗もあっという間に色あせていった。
まもなくIについたイメージは、風呂に入らない不潔なヤツというありがたくない異名である。集団生活の中にあっては、こういうヤツに限って必ずいじめられる。そのいじめは生徒だけでなく先生達にも伝染し、倫理社会の遊佐先生は、Iが風邪をひいて学校を休んだときに残酷にもこう言った。
「おや、I君は珍しく風呂に入って風邪でもひいたのかな?」
不幸にもIはまもなく寮にいられなくなってしまい、下宿に移ったのだが、学校での評判まで回復することは出来なかった。しかも、1年生の時か2年生の時か忘れてしまったが、Iは落第する。大学なら1年ダブっても問題はないが、ここは高校である。さぞいたたまれなかったのだろう。Iはその後、転校を余儀なくされた。

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