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インド旅行記

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2001年8月末から2001年11月末までインドのダラムサタにボランティアで行っていた時の旅行記です。
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#カンチェン・キション

図書館での仏教講座

図書館での仏教講座

2001年11月5日。タシから勧められて、私もカンチェン・キションにある図書館で開催されている仏教講座に通い始めた。仏教講座は午前中の9時と11時の2回に分けて行われている。9時からの講義は、巷のチベット仏教に対するイメージを決定付ける「バルド・トゥドル(チベット死者の書)」についての講義であり、私も興味があるのだが、それを聴講するためには早起きしなければならない。カンチェン・キションまで坂道を下

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アッセンブリーホール

アッセンブリーホール

2001年10月24日。話は前後する。2週間も全く顔を見せなかったツェリン・ドルジェだったが、昨日、私がTCVまで出向いていった翌日から毎日、また9-10-3の私の部屋を訪れてくるようになった。しかも午前中からやってきた。何を考えているのか分からないが神経が図太いことは確かだろう。連絡もよこさず無断で来なくなったことの侘びなど一言もない。こいつもまた「ノープロブレム」な人間なのか?
「で、何で来な

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ガンディーの誕生日

ガンディーの誕生日

2001年10月2日。数日来考えて作った亡命政府の公務員宿舎のプランだが、いま一つ満足の行くものではなかったものの、一度、担当の役人(ツェリン・ドルジェ・ラ・・・敬称の「ラ」をつけてもう一人と区別する)に見せておこうということになり、9-10-3の日本食レストランで中原さんと待ちあわせして、バイクでTemple Roadを下って行き、役所が立ち並んでいるカンチェン・キションに向かった。
A3の紙に

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ダラムサラとは(パート3)

ダラムサラとは(パート3)

「それからインドとの国境近くでのこと。明日はインドとチベットとの国境のキンチャンマニに辿り着くという場所だったと思います。その地に護衛部隊とチベット軍、それにチベット政府の役人も結構いました。国境を安全に越えられるのを確認すると、彼らは「中国軍と戦いに行く」と言って、戦場に戻っていったのです。とても心が痛みました。ただ、離れ離れになるだけの別れではない。彼らは中国軍と戦うために引き返すのです。多く

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